スリーマイル島原子力発電所事故

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 ここでは、TMI-2事故後の原子炉内部調査とデブリ取り出しの進捗、調査・取り出し過程で採取されたデブリサンプルの分析、それらから推定された事故シナリオとデブリふるまい、についてまとめる。どのような内部調査が計画され、どのようなサンプルが採集・分析され、得られた知見がどのようにデブリ取り出し方法や事故シナリオの推定に反映されたのか、という観点で、時系列的に記述した。

事故対応の概要、時系列

 EPRINRCがそれぞれとりまとめた事故対応から得られた知見・データの概要レポート[1,2]、及び、DOEの年次レポートを参照して、TMI-2事故炉の概要、内部調査とデブリ取り出しのおよその時系列についてとりまとめた。

 廃棄物取り扱い、環境影響評価、なども含む、TMI-2事故対応については、Nucl.Technol.誌の1989年特集号にまとめらており、その概要を整理した

 2022年に刊行された、IAEA研究提案T13015に対するアイダホ国立研究所レポート(P.L. Winston, INL/EXT-21-61607, rev.2[6])には、RPV内部調査とデブリ取り出しの経緯が簡潔にまとめられているので、その概要紹介を追加した。

  • Nucl.Technol.誌のTMI-2特集号の概要(事故時の対応、デブリ取り出しの進捗、汚染・被ばく、サンプル分析、事故シナリオ、デブリ/FPふるまい解析、等についてまとめられている)、(令和7年7月に更新)、New!

デブリ取り出し工法決定時点までの知見

 この項目では、DOEの年次レポートや参考文献[3]などを参照して、TMI-2廃炉において重要な判断ポイントとなった、1984年12月時点までの情報をとりまとめた。この時点までに、原子炉建屋からの放射性ガス(Kr-85)の排気を経て(1980年6月)、建屋内のエントリーが開始され(1980年7月)、様々なクリーンアップ作業と内部調査、および採集されたサンプルの分析が行われた。

 主な作業としては、まず、様々な除染技術の有効性を確認しつつ、建屋内の空間線量と放射性微粒子の発生を抑制し、人工吸気装置を使用せずに原子炉建屋内での作業ができるようにする目的で、1982年3月に、総合除染試験が行われた。局所にはDFで2桁程度の除染効果が得られたものの、建屋全体としては再汚染が発生し、また、高線量のため作業員が立ち入ることができなかった地階(滞留水、コンクリート)からの線量のドーム天井などでのシャイン効果により、全体としては数分の1程度の線量低減に留まった。さらに、1982年夏に、原子炉建屋内の空間線量が増加するイベントが発生した。これらのことから、それ以降は、除染は優先順位をつけて中長期的な課題として実施し、当面の作業に向けては遮蔽と不用品の撤去が優先されることとなった。また、建屋内調査の過程で、圧力容器ヘッド周辺の燃料移送Canal浅瀬部分の空間線量が比較的小さいことが明らかになった。これは、天井ドームからのシャインの効果が小さいこと、および、この付近の構造物はSSでライナーされていたため、再汚染しにくく、除染効果が大きかったためであった。

 1981年2月に、燃料と炉心デブリの取り出し基本計画が提示され、通常の燃料交換方法に基づき、内部調査の結果を反映しつつ、取り出し方法が改良・具体化されることとなった。1981年5月には最初のRPV内状態予測レポート(GEND-007)がとりまとめられ[5]、燃料・炉心デブリ取り出しツールの設計が開始された(なお、TMI-2では、燃料デブリ回収と言う用語は使われておらず、RPVからの燃料(Fuel)と炉心物質デブリ(Core Debris)の取り出し(Defueling)と称されている)。事故直後の予想では、TMI-2炉の最終状態としてよく知られている模式図に比べ、かなり軽微な損傷状態が予想されていた(炉心中央上部以外では、燃料集合体がおよそ形状を維持していると推定されていた)。そこで、破損した燃料集合体を1体そのまま収納できるFuel収納缶が設計された。また、通常の燃料交換方法に準じた回収ができるかどうかを確認するため、RPV上部の調査(Quick Look調査)が計画された。Quick Look調査では、事故後初めて、RPVが原子炉建屋内の大気に開放されるため、様々な準備作業が行われた。その一環として、事故時に25%引き抜き位置にあった軸方向出力調整棒(APSR)の挿入試験が行われ、炉心上部の破損状態に係る予備的な知見が取得された。また、Quick Look調査での小型カメラ挿入ルートとなる制御棒駆動機構(CRDM)のリードスクリュー3本(炉心中央、炉心中間、炉心周辺)が引き抜かれ、分析が行われた。リードスクリューに相当量の付着デブリがあり、これが、ヘッド撤去やプレナム構造物撤去の際に、事故後初めて大気に曝されることから、デブリの自然発火性確認が重要課題として提示された。1982年の7~8月に、Quick Look調査が行われ、当初の予想よりも、炉心上部の損傷が進んでいることが確認された。炉心上部の燃料集合体は、再外周部を除いて崩落し、上部空洞が形成されていた。崩落したデブリはデブリベッド(上部ルースデブリ)が形成されていた。その結果を受けて、1983年8月に上部空洞のCore Topography調査が、1983年9月から上部プレナム構造物周辺のUnderhead Characterization上部ルースデブリの探針調査とサンプリングが行われた。

 この段階までに得られた知見に基づいて燃料取り出し工法の検討が進められ、1984年5月に、圧力容器ヘッドとプレナム構造物の撤去を大気中で実施すること(Dirty-Lift)、通常の燃料交換方法と異なり、燃料移送Canalは最深部以外は水没させないこと、ヘッドとプレナム構造物を撤去した後の圧力容器上部に作業プラットフォームを設置し、長尺ツールを用いた手作業で燃料と炉心デブリの取り出しを行うこと、という燃料取り出し方針が決定された。この段階以前では、通常の燃料交換方法と同様に燃料移送Canalを全水没させ、Dリング上からのロボットによる遠隔自動方式で燃料取り出しする工法が検討されていたが、その方式は採用されないこととなった。重要な判断要因は、作業の信頼性と汚染範囲・汚染水処理量の抑制と記述されている。Dリング上は空間線量が比較的大きく、マニュアル方式で利用するヘッド周辺のCanal浅瀬部の方が空間線量が数分の1であったことも大きな理由とされている。これらの判断には、作業員の被ばくを合理的な範囲でできるだけ抑制するALARA(As Low As Reasonably Achievable)の原則が大きく影響している。また、瓦礫状、粒子状のデブリが多く堆積していたことから、2タイプの収納缶(Knockout収納缶、Filter収納缶)が追加設計された。ここでは、貯蔵、移送、輸送などの工程での利便性が重視され、Fuel収納缶と同じ外形で設計が行われた。炉心デブリの取り出しは、長尺ツールでのPick-and-Place方式(破砕、摘み上げ)と真空吸引方式が併用されることとなり、各種ツールの設計製作、機能確認、モックアップ試験が開始された。

 1984年7月に、ヘッド撤去と建屋内の貯蔵スタンドへの移動が完了し、同時に、RPVフランジの上に作業プラットフォームを載せる改良型IIF(Internal Indexing Fixture)が設置された。1984年12月には、プレナム構造物の初期リフト(圧力容器内でのジャッキアップ)が実施された。ジャッキアップ位置で、上部格子板に固着しぶら下がっていた燃料集合体上部や上部端栓の除去や付着デブリのフラッシングが行われ、大気中でのプレナム構造物撤去が可能かどうかの最終判断がなされた。1985年5月に、上部プレナム構造物の撤去が行われ、その後ただちに遮蔽付きの作業プラットフォーム(SWP: Shielded Working Platform)が設置されることとなった。

 また、この段階までに、初期の燃料・炉心デブリの取り出し手順も提示された。(1) まず、デブリベッドの上に崩落している上部端栓などの大型瓦礫を専用コンテナに回収あるいは炉心周辺部に移動させて、炉心中央に作業スペースを形成、(2) 次に、真空吸引方式で粒子状のデブリを、Pick-and-Place方式で瓦礫状のデブリを、それぞれ収納缶に回収、(3) 炉心中央に形成される空間を利用して、大型デブリや炉心周辺の残留燃料集合体などを切断・破砕して、収納缶に回収、という手順であった。燃料や炉心デブリを入れた収納缶は、SWPで、遮蔽キャスクで覆い、表面をフラッシングしてから、本来の燃料集合体移送システムの代わりに設置された収納缶移送システムを用いて、水没させたCanal最深部に移送されることとなった。その後、デブリ収納缶は、隣接する燃料取り扱い建屋の使用済み燃料貯蔵プールに移送して一時貯蔵後に、構外輸送キャスクでINELに列車輸送されることとなった。この方針を受けて、1985年10月にRPV内での上部端栓等の回収作業が、1985年12月からは本格的な燃料デブリ取り出し作業が開始された。

 廃棄物関係については、1979年10月~1980年12月にかけて、補助建屋に滞留していた汚染水約2000m3が、EPICOR-IIシステムによって処理された。処理後の廃棄物は、1981年4月から商用処分場に移送された(一部は研究開発に利用)。原子炉建屋地階の高線量の滞留水約2500m3については、1981年9月~1982年3月に、使用済み燃料プール内に設置された水没型の処理システムSDSにより処理された。発生した高レベル廃棄(プレフィルター、ゼオライト、ライナー)は、1982年5月から構外輸送され、一部はガラス固化試験等に供された。ほとんどは、最終処分概念が決定されるまで、中間貯蔵されている。

  • 以下、調査中

デブリ取り出し開始後に得られた知見

 この項目では、デブリ取り出しの過程で得られた知見、炉心下部のボーリング調査、上部プレナム構造物の初期リフト後に実施された下部プレナムの調査、炉心下部構造物(LCSA:Lower Core Support Assembly)と炉心上部構造物(UCSA:Upper Core Support Assembly)の調査と解体、RPV外のex-vessel debrisの調査、および、最終クリーンアップについてまとめる。

 1984年5月時点での燃料・炉心デブリ取り出し方針の決定を受けて、炉心中央から下の領域の調査方法が具体化された。炉心下部については、コアボーリング法が採用されることとなった(1986年7月実施)。下部プレナムについては、RPV側面の遮蔽体とRPV容器槽の間の円環状の隙間を利用して、長尺ツールでCCTVを吊り降ろす方法で調査が行われた(1985年2月~、5回に分けて実施)。下部プレナムの中央については、計画されたコアボーリング10本のうち3本でLCSAを貫通し、ビデオカメラを吊り降ろして調査が行われた。ボーリング調査と下部プレナム調査により、炉心下部から下部プレナムにかけての燃料と炉心デブリの成層化状態や下部プレナムでのデブリ堆積状態が解明された。炉心中央付近にデブリの溶融凝固層が堆積し、その周囲をクラスト層が覆っていた。下部クラスト層は漏斗型の形状をしており、その下はほぼ無傷の燃料棒が切り株状に残留していた。5層構造のLCSAはほぼ無傷で維持されており、その間にデブリが堆積していた。下部プレナムには約19トンのデブリが移行していた。ボーリング調査時点では、デブリの移行経路は判明していなかった。これらの知見を参照して、溶融凝固層以下の燃料・炉心デブリの取り出し方法の具体化、新たなツールの設計・製作、ツールの改良が進められた。

 一方、1985年12月の燃料デブリ取り出し開始後すぐに、微生物の大量繁殖による水質悪化問題が発生した。これは、事故対応の際に一次系に注入した河川水の中に存在していた微生物が、デブリ取り出しツールの油圧媒体を餌にして繁殖したためと考えられた。RPV内の環境(繁殖に適した水温や光源の存在)も微生物の繁殖を促進したと記述されている。1986年2月にはほとんど透明度が失われた。ブラインド作業で上部ルースデブリ回収を進めつつ、殺生物剤(過酸化水素)や微生物の死骸の凝固剤が投入され、水質改善策がとられた。1986年5月ごろには、水質が若干改善し、ボーリング調査の準備が行われた。また、1986年7月にはデブリ収納缶の構外輸送が開始されている。

 コアボーリング調査と下部プレナム調査の結果を受けて、1986年8月~11月にかけて、炉心中央に存在していた溶融凝固物相に対してボーリング装置を利用した破砕作業が行われた。破砕されたデブリは、真空吸引方式と、Pick-and-Place方式で回収された。次に、改良したツールを用いて切り株燃料集合体のPick-and-Place方式による回収が行われた。これらの燃料・炉心デブリの取り出し過程で、炉心周辺に残留していた燃料集合体の1層内側に、破損燃料棒などの凝集物からなる馬蹄形リング構造が存在していることが明らかになった。馬蹄形リング構造の発見は、事故進展シナリオ推定に向けた重要知見となった。また、UCSAバッフル板の一部に大きな破損孔が形成されていたことが明らかになった。ここを経由して、溶融デブリがコアフォーマ領域や下部プレナムに移行したことが明らかになった。

 炉心部からの燃料・炉心デブリ取り出し後に、1988年1月~12月にかけて、改良したコアボーリング装置とアークプラズマ装置によって、LCSAの解体と取り出し行われた。縦方向の構造物(ポスト、インコアモニター案内管、など)の切断・解体にはコアボーリング装置が、水平方向の構造物(5層構造)の切断・解体にはアークプラズマ装置が用いられた。RPV外周部は、これらの装置の先端部が到達できないため、トリミングが行われた。ついで、下部プレナムルースデブリが真空吸引方式とPick-and-Place方式で回収された。下部プレナムハードデブリはスライドハンマーによる破砕処理を行った後で回収された。並行して、アークプラズマ装置によりUCSAの解体・取り出しと付着デブリの除去作業が行われた。これらの過程で、下部プレナムを貫通しているインコアモニター案内管の一部が損傷し、RPV下部ヘッド内面の一部にクラックが存在していることが明らかになった。そこで、全てのRPV内構造物とデブリの取り出し後に、案内管と下部ヘッドサンプルの採集が国際協力で行われた(VIPプロジェクト)。RPV内からの燃料・炉心デブリ取り出し作業は、1989年12月に終了し、1990年1月に最終検査とフラッシング作業が行われた。1990年2月に、デブリ取り出しと構外輸送が完了し、TMI-2炉はモニタリングフェーズに移行した。

  • 下部プレナム調査(令和7年6月に更新)、New!
  • 炉心下部構造物(LCSA)の解体作業(DOE年次レポートの項目に記載)、New!
  • コアフォーマ領域の調査(DOE年次レポートの項目で記載)、New!
  • ex-vesselデブリの調査(調査中)

サンプル分析

 この項目では、参考文献[4]などを参照して、RPV内やRPV以外の一次系等から回収された様々なサンプルの分析結果をまとめる。

事故シナリオの推定 

 この項目では、事故時のプラントデータ、圧力容器内部調査、様々なデブリサンプルの分析結果などから推定された、事故時のデブリふるまいについてまとめる。また、事故シナリオの推定やRPV内の破損状態の調査に向けて検討・改定された、RPV内部調査計画についてまとめる。

  • 内部調査とサンプル分析に関するニーズ整理(Quick Look調査以前)、(調査中)
  • 内部調査とサンプル分析に関するニーズ整理(Quick Look後)、(調査中)
  • 事故進展に伴うデブリ移行挙動、(令和6年5月に更新)

参考文献

[1] The Cleanup of Three Mile Island Unit 2, A Technical History: 1979 to 1990, EPRI NP-6931, 1990.

[2] Three Mile Island Accident of 1979 Knowledge Management Digest, NUREG/KM-0001, Supplement 1, 2 and 3, USNRC, 2020.

[3] H.M. Burton and R.L. Freemerman, Reactor Disassembly Activities at Three Mile Island Unit 2, Progress in Nucl. Eng. 17 (1986) 141-174.

[4] R.K. McCardell, M. L. Russell, D.W. Akers, C.S. Olsen, Summary of TMI-2 core sample examination, Nucl. Eng. Des. 118 (1990) 441-449.

[5] D.W. Croucher, TMI2 Core Status Summary: A Basis for Tool Development for Reactor Disassembly and Defueling, GEND-007, 1981.

[6] P.L. Winston, Management of the Three Mile Island Unit 2 Accident Corium and Severely Damaged Fuel Debris, Contribution to International Atomic Energy Agency Coordinated Research Proposal T13015, INL/EXT-21-61607, rev. 2, 2022.


関連項目

既往知見