「初期の燃料デブリ取り出し中に得られた知見」の版間の差分

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== 初期のデブリ取り出し ==
== 初期のデブリ取り出し ==
 TMI-2炉での燃料・デブリ取り出しは、1985年10月に開始された[1,2]。第一段階では、上部ルースデブリベッドの上に崩落していた上部端栓や燃料集合体の上部を収納缶内に回収、あるいは、一部は炉心周辺部によける作業が行われた[1]。回収された燃料集合体上部は、'''<span style="color:blue">Distinct Component(形状を維持した燃料デブリ)'''</span>として、INELに送付され、分析が行われた[3]。次に、1985年12月から、長尺ツールを使った岩石状/瓦礫状デブリの破砕及び摘まみ上げ回収作業が開始され、1986年1月には真空吸引システムによる粒子状/粉末状デブリの吸引回収作業が開始された[2]。設置された真空吸引システムでは大きな粒子が吸引できなかったため、高圧ホースによるウォータージェットシステムにより粒子を巻きあげる作業が追加された。この改良により、1986年4月から真空吸引システムの運用が本格化し、ルースデブリの回収速度はおよそ1.36kg/分を達成した。
 TMI-2炉での燃料・デブリ取り出しは、1985年10月に開始された[1,2]。第一段階では、上部ルースデブリベッドの上に崩落していた上部端栓や燃料集合体の上部を収納缶内に回収、あるいは、一部は炉心周辺部にいったんよける作業が行われた[1]。回収された燃料集合体上部は、'''<span style="color:blue">Distinct Component(形状を維持した燃料デブリ)'''として、INELに送付され、分析が行われた[3]。次に、1985年12月から、長尺ツールを使った岩石状/瓦礫状デブリの回収作業が開始された(#打撃チゼルによる瓦礫デブリの破砕やシャーリングによる切断などの作業を含む)。また、1986年1月には真空吸引システムによる粒子状/粉末状デブリの吸引回収作業が開始された[2]。設置された真空吸引システムでは大きな粒子が吸引できなかったため、高圧ホースによるウォータージェットシステムにより粒子を巻きあげる作業が追加された。この改良により、1986年4月から真空吸引システムの運用が本格化し、ルースデブリの回収速度はおよそ1.36kg/分を達成した。


 一方、1986年1月ごろから、微生物の繁殖により冷却水の水質が悪化し、1986年2月ごろには、透明度がほぼ失われた[2]。しかし、ブラインド作業でデブリ取り出しが継続された。また、燃料集合体の倒壊・切断・収納缶への回収作業も進められた。水質改善のために、殺生物剤(過酸化水素)が投入され、また、微生物の死骸をフィルター上で凝固させる凝固剤が投入された。さらに、微生物繁殖の餌となっていた長尺ツールの油圧媒体が非オイル系に交換されることで、1986年5月ごろには、水質の改善が見られた。
 一方、1986年1月ごろから、微生物の繁殖により冷却水の水質が急激に悪化し、1986年2月ごろには透明度がほぼ失われた[2]。微生物は、事故時に冷却のために用いられた河川水中に存在していたと推定された。しかし、ブラインド作業でデブリ取り出しが継続された。また、炉心周辺部に残留していた燃料集合体の倒壊・切断・収納缶への回収作業も進められた。水質改善のために、殺生物剤(過酸化水素)と微生物の死骸をフィルター上で凝固させる凝固剤が投入された。さらに、微生物繁殖の餌となっていた長尺ツールの油圧媒体が非オイル系に交換された。これらの対策により、1986年5月ごろには、水質の改善が見られた。1987年初頭にはポリマー凝固材を投入することで、水質が大きく改善した[4]。


 1986年6月には、上部ルースデブリと、周辺燃料集合体の一部の回収が完了した。上部ルースデブリを除去した後に、炉心外周部に残留していた燃料集合体のすぐ内側に、'''<span style="color:blue">馬蹄形リング構造'''</span>と称される、粒子状/瓦礫状デブリの凝集領域が存在することが確認された[4]。馬蹄形リング構造は、デブリふるまいメカニズムを理解する上で重要な情報をゆうしている判断され、ビデオ観察と探針調査が行われた。しかし、デブリ取り出しには直接必要でないと判断され、サンプリングは行われなかった。
 1986年6月には、上部ルースデブリの大部分と、周辺燃料集合体42体のうち約半数の回収が完了した。上部ルースデブリを除去した後に、炉心外周部に残留していた燃料集合体のすぐ内側(#上部ルースデブリに埋もれていた)に、'''<span style="color:blue">馬蹄形リング構造'''と称される、粒子状/瓦礫状デブリの凝集領域が存在することが確認された[4]。馬蹄形リング構造は、デブリふるまいメカニズムを理解する上で重要な情報を有していると判断され、ビデオ観察と探針調査が行われた。しかし、デブリ取り出しには直接必要でないと判断され、サンプリングは行われなかった。


 ここで、いったんデブリ取り出しは中断され、ボーリング装置による溶融凝固層の掘削調査の準備が進められた[2]。1986年7月に'''<span style="color:blue">ボーリング調査'''</span>が行われ、9本のボーリングサンプルが回収された。同時に、ボーリング孔を通じて小型カメラを下部プレナムに吊り降ろし、下部プレナム堆積デブリの様子とサンプリングが行われた。ついで、先端ピットを硬いブロック状のものに交換し、48本のボーリングによる'''<span style="color:blue">溶融凝固層の破砕作業'''</span>が行われた。さらに、取り出し初期に収納缶に入らなかったため炉心外周部によけておいた上部端栓の固着物をが遮蔽付きのドラム缶に回収された。この段階で、水質がさらに改善した。第1回めの溶融凝固層破砕作業では、真空吸引システムで回収できるサイズまで微細化できなかったため、さらに、大口径の先端ピットに交換し、409本のボーリングが行われた。これにより、馬蹄形リング構造物の内側で、切り株燃料集合体の上の領域にあった溶融凝固層はほぼ破砕された('''<span style="color:blue">スイスチーズ化'''</span>)。1986年11月に、デブリ取り出しはいったん中断され、水質の更なる改善と、瓦礫状デブリの回収方法の検討が進められることとなった。1986年末までに、核燃料物質の約20%が回収された。ボーリング調査以降の進捗は別項目でまとめる。
 ここで、いったんデブリ取り出しは中断され、ボーリング装置を用いた溶融凝固層(#上部ルースデブリベッドの下部に存在)の掘削調査の準備が進められた[2]。1986年7月に'''<span style="color:blue">ボーリング調査'''が行われ、9本のボーリングサンプルが回収された。あわせて、ボーリング孔を通じて小型カメラが下部プレナムに吊り降ろされ、下部プレナム堆積デブリのビデオ観察とサンプリングが行われた。その後、ボーリング装置の先端ピットを硬いブロック状のものに交換し、デブリ取り出しに向けて、48本のボーリングによる'''<span style="color:blue">溶融凝固層の破砕作業'''が行われた。並行して、取り出し初期に収納缶に入らなかったため炉心外周部によけられていた上部端栓の固着物が遮蔽付きのドラム缶に回収された。この段階で、水質がさらに改善した。第1回めの溶融凝固層破砕作業では、真空吸引システムで回収できるサイズまでデブリを微細化できなかったため、さらに、大口径で硬い先端ピットに交換し、409本のボーリングが行われた。これにより、馬蹄形リング構造物の内側で、切り株燃料集合体の上の領域にあった溶融凝固層はほぼ破砕された('''<span style="color:blue">スイスチーズ化''')。1986年11月に、デブリ取り出しはいったん中断され、水質の更なる改善と、ボーリング作業で形成された瓦礫状デブリの回収方法の検討が進められることとなった。1986年末までに、核燃料物質の約20%が回収された。ボーリング調査以降の進捗は別項目でまとめる。


 デブリ取り出しに並行して、炉心周辺に残留していた破損燃料集合体と上部空洞底部のビデオ調査が、1985年12月、1986年1月、6月、7月、10月、12月に行われた[2,5]。
 デブリ取り出しに並行して、炉心周辺に残留していた破損燃料集合体と上部空洞底部、および、馬蹄形リング構造のビデオ調査が、1985年12月、1986年1月、6月、7月、10月、12月、さらに1987年2月に行われた[2,5]。


* 12月、1月調査: 炉心周辺の残留燃料集合体と上部ルースデブリ表面の調査
* 12月、1月調査: 炉心周辺の残留燃料集合体と上部ルースデブリ表面の調査、周辺燃料集合体のサンプリング
* 6月調査: 上部ルールデブリ回収後の上部空洞床面(溶融凝固層表面)の調査
* 6月調査: 上部ルールデブリ回収後の上部空洞床面(溶融凝固層表面)の調査
* 7月調査: ボーリング孔の内部、炉心下部構造物、下部プレナム堆積物の表面の調査
* 7月調査: ボーリング孔の内部、炉心下部構造物、下部プレナム堆積物の表面の調査
* 10月調査: 上部空洞の側面と床面の再調査(周辺部燃料集合体と上部ルースデブリの残留状態の調査)
* 10月調査: 上部空洞の側面と床面の再調査(周辺部燃料集合体と上部ルースデブリの残留状態の調査)
* 12月調査: 上部空洞底部(ボーリングマシンでの溶融凝固層のスイスチーズ化の状態)
* 12月調査: 上部空洞底部(ボーリングマシンでの溶融凝固層のスイスチーズ化の状態)
* 2月調査: 馬蹄形リング構造の残留状態の調査
 また、デブリ取り出し開始前の1985年の2月と7月には、上部プレナム構造物のジャッキアップで形成された、ダウンカマーの円環状領域4か所からCCTVを吊り降ろし、事故後初めて下部プレナムの調査とデブリサンプリングが行われた[8]。1985年の12月には、周辺に残留していた燃料集合体サンプルの回収と分析も行われた[9]。


<big>'''<span style="color:blue">参考:[[TMI-2事故炉の状態まとめ]]'''</big></span>
<big>'''<span style="color:blue">参考:[[TMI-2事故炉の状態まとめ]]'''</big></span>
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<big>'''<span style="color:blue">参考:[[一部形状を残していた燃料集合体の詳細分析データ]]'''</big></span>
<big>'''<span style="color:blue">参考:[[一部形状を残していた燃料集合体の詳細分析データ]]'''</big></span>


<big>'''<span style="color:red">参考:ボーリング調査(調査中)'''</big></span>
参考:周辺燃料集合体の分析データ(調査中)


== 炉心周辺部と上部空洞床面の調査 ==
参考:下部プレナム調査(調査中)


 1985年12月から1986年1月にかけて、ルースデブリ取り出し開始直後の、上部空洞周辺の様子がビデオ撮影された[5]。また、残留燃料棒のサンプリングと分析が行われた[6]。
<big>'''<span style="color:red">参考:ボーリング調査(調査中)'''</big>


<big>'''<span style="color:red">参考:周辺燃料集合体サンプルの分析(調査中)'''</big>
== 炉心周辺部と上部空洞床面の調査 ==
[[ファイル:デブリ取り出し 1.png|サムネイル|672x672ピクセル|'''<big>図1 炉心外周部でのビデオ調査範囲(Core topographyマップ[7]に重ねて示す)</big>''']] 1985年12月から1986年1月にかけて、ルースデブリ取り出し開始直後の、上部空洞周辺の様子がビデオ撮影された[5]。また、残留燃料棒のサンプリングと分析が行われた[6]。


=== 画像データ ===
=== 画像データ ===
[[ファイル:デブリ取り出し 1.png|サムネイル|672x672ピクセル|'''<big>図1 炉心外周部でのビデオ調査範囲(Core topographyマップ[7]に重ねて示す)</big>''']]
 炉心外周部については、撮影されたビデオ画像データをもとに、8枚のイメージプレートが作成された[5]。'''図1'''に、8枚のイメージプレートの観測部位を、上部空洞中間高さに相当するCore Topography像に重ねて示す(#参考文献[7]に基づいて作成)。'''図2(a)~(h)'''に、北側から時計回りに各部位でのイメージプレートを示す[5]。また、'''図3(a)~(d)'''には、ルースデブリ上に堆積していた複数タイプのデブリ形状を、'''図4'''と'''図5'''には、倒壊していたL1とP4燃料集合体の様子を、それぞれ示す[5]。(<u>#以下では、図のサイズの都合上、番号通りに掲載されていないことに注意</u>)
 炉心外周部については、撮影されたビデオ画像データをもとに、8枚のイメージプレートが作成された[5]。'''図1'''に、8枚のイメージプレートの部位を、上部空洞中間高さのTopography像に重ねて示す[参考文献7に基づいて作成]'''図2(a)~(h)'''に、北側から時計回りに各部位でのイメージプレートを示す[5]。また、'''図3'''には、ルースデブリ上に堆積していた形状を維持していた燃料集合体上部(Distinct Component)を、'''図4'''と'''図5'''には、倒壊していたL1とP4燃料集合体の様子を、それぞれ示す[5]


<big>'''<span style="color:blue">参考:[[Reactor Core Topography計画|Core Topography計画]]'''</big></span>
<big>'''<span style="color:blue">参考:[[Reactor Core Topography計画|Core Topography計画]]'''</big></span>
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=== 調査結果の概要 ===
=== 調査結果の概要 ===


* 上部空洞周辺の状態はTopographyで得られたマップとよく一致していた。
* 撮影された上部空洞周辺のビデオ画像は、Core Topographyで得られた3Dマップとよく一致していた。
* 燃料集合体のうち、可燃性毒物スパイダーが装荷されていた集合体は、その周辺の制御棒スパイダーが装荷されていた集合体に比べて損傷が激しい傾向が見られた。これは、可燃性毒物棒被覆管のZryと可燃性毒物棒内に装荷されていたAl<small><sub>2</sub></small>O<sub><small>3</small></sub>との反応、あるいは、酸化して蒸発したホウ素や炭素との反応によると推定された[5]。
* 燃料集合体のうち、可燃性毒物スパイダーが装荷されていた集合体は、その周辺の制御棒スパイダーが装荷されていた集合体に比べて損傷が激しい傾向が見られた。これは、可燃性毒物棒被覆管のZryと可燃性毒物棒内に装荷されていたAl<small><sub>2</sub></small>O<sub><small>3</small></sub>との反応、あるいは、酸化して蒸発したホウ素や炭素との反応によると推定された[5]。
* ほぼすべての燃料棒で、スウェリングとバルーニングによるバーストが見られた。しかし、冷却水流路を閉塞するほどの激しい損傷は見られなかった。
* ほぼすべての燃料棒で、スウェリングとバルーニングによるバーストが見られた。しかし、冷却水流路を閉塞するほどの激しい損傷は見られなかった。
* L1燃料集合体では、燃料棒被覆管と燃料ペレットの相互作用、燃料被覆管とSSやInconel材との共晶反応、による燃料棒の初期損傷の痕跡が観測された。
* L1燃料集合体では、燃料棒被覆管と燃料ペレットの相互作用、燃料被覆管とSSやInconel材との共晶反応、による燃料棒の初期損傷の痕跡が観測された。
* P4燃料集合体の観察結果から、上部空洞の下の方で、周辺部の燃料集合体の損傷が激しい傾向が見られた。さらに、その下のルースデブリ堆積面の下で損傷が大きかった。
* P4燃料集合体の観察結果から、上部空洞の下の方で、周辺部の燃料集合体の損傷が激しい傾向が見られた。さらに、その下のルースデブリ堆積面の下で損傷が大きかった。
<gallery widths="350" heights="500">
 
ファイル:デブリ取り出し 2.png
=== サンプリング ===
ファイル:デブリ取り出し 3.png
 1985年12月の調査では、炉心南東部から、周辺燃料集合体サンプルが切り出され、分析が行われた[6]。分析結果の詳細は、サンプル分析の項目に示す。
ファイル:デブリ取り出し 4.png
 
<big>'''<span style="color:blue">参考:[[炉心周辺に残留していた燃料集合体サンプルの分析データ]]'''</big><gallery widths="480" heights="380">
ファイル:デブリ取り出し 2.png|'''<big>図2(a) Plate-1部位の周辺燃料集合体の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 3.png|'''<big>図2(b) Plate-2部位の周辺燃料集合体の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 4.png|'''<big>図2(c) Plate-3部位の周辺燃料集合体の状態5]</big>'''
</gallery><gallery widths="479" heights="380">
ファイル:デブリ取り出し 6.png|'''<big>図2(e) Plate-5部位の周辺燃料集合体の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 7.png|'''<big>図2(f) Plate-6部位の周辺燃料集合体の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 8.png|'''<big>図2(g) Plate-7部位の周辺燃料集合体の状態[5]</big>'''
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ファイル:デブリ取り出し 5.png|'''<big>図2(d) Plate-4部位の周辺燃料集合体の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 9.png|'''<big>図2(h) Plate-8部位の周辺燃料集合体の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 14.png|'''<big>図4 L1集合体の状態[5]</big>'''
</gallery><gallery widths="480" heights="250">
ファイル:デブリ取り出し 10.png|'''<big>図3(a) ルースデブリ堆積物の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 11.png|'''<big>図3(b) ルースデブリベッド上に崩落していた上部端栓の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 16.png|'''<big>図3(c) 上部端栓上に微粒子デブリが堆積した様子[5]</big>'''
</gallery><gallery widths="500" heights="300">
ファイル:デブリ取り出し 13.png|'''<big>図3(d) ルースデブリベッド上の破損燃料棒の状態[5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 15.png|'''<big>図5 P4集合体の状態[5]</big>'''
</gallery>
</gallery>


== 馬蹄形リング構造の調査 ==
== 馬蹄形リング構造の調査 ==
[[ファイル:デブリ取り出し 17.png|サムネイル|350x350px|'''<big>図6 馬蹄形リング構造の概略範囲(ハッチング)と週燃料集合体の残留位置(赤線の外側) [4,5]</big>''']]
 馬蹄形リング構造は、1985年12月から1986年6月にかけて進められた上部ルースデブリの取り出しにともなって、その周辺部に出現した。瓦礫状などの様々なデブリの凝集物とみなされ、事故進展メカニズムを推定する上での有力なエビデンスと判断された[4]。円環が一部欠けたような構造をしており、炉心方位角で120~70°に存在していた('''図6''')。図では、周辺部に残留していた燃料集合体のおよその境界線を赤線であわせて示す[5]。残留していた周辺燃料集合体の内側に馬蹄形リング構造が存在していたことがわかる。円環の内径は約250cm、高さは約70cm、幅は約20cmであった。凝集物の上部は凸凹しており、破損燃料棒等が化石のように埋まっていた。凝集物の下部内面は石畳状の表面であり、上部に比べてへこみ、洞窟のような構造であった。馬蹄形リング構造は下部では、溶融凝固したクラスト層とつながっていた。デブリ取り出し作業やボーリング調査の過程で、一部崩落するなどで形状が変化した。
=== 調査方法 ===
 馬蹄形リング構造の観察と分析により、事故進展メカニズムを推定するための有力知見が得られると考えられたが、デブリ取り出しに直接かかわる知見が得られるわけではないと判断された。したがって、ビデオサーベイと探針調査が行われ、サンプリングは行われなかった[4]。
 ビデオサーベイでは、ここまでの段階で用いられてきたものと同様のCCTVシステムが用いられた。探針調査は、1986年3,7,11,12月と1987年2月に、場所を変えつつ実施され、馬蹄形リング構造の侵入深さやサイズが計測された。ボーリング調査前後での形状変化も測定された。探針調査の内、1986年3,12月と1987年2月には、スライドハンマーを利用した探査針の打ち込み調査が行われた。一方、7月と11月の調査では、ボーリングドリルが用いられた。このうち3月調査の時点では水質が極めて悪化していたため、ほぼブラインド作業であり、得られたデータが不正確だった可能性が考えられた。
=== 調査結果 ===
 炉心周辺部の燃料集合体と同様に、8枚のイメージプレート画像として、調査結果がとりまとめられた。'''図7(a)~(h)'''に、炉心周辺のイメージプレート画像をそれぞれ示す[4]。凝集物に破損燃料棒が化石のように埋まっている様子、内面が洞窟形状にへこみその表面が石畳状になっている様子などが確認できる。探針調査では、調査の時期により、馬蹄形リング構造の形状や探査針の侵入深さが異なっていたという調査結果が得られた。
 これらの観測結果から、事故進展メカニズムに関する知見がまとめられた。
* 馬蹄形リング構造の上表面は、事故時に形成された溶融デブリプールの一部が、クラスト層を破損して下部プレナムに移行する直前の溶融凝固層の上表面にほぼ一致
* 馬蹄形リング構造内側の空洞と、方位角50~120°の馬蹄形の切れ目は、溶融デブリプール物質の移行に対応(#切れ目の反対側で、クラスト層が破損し、溶融デブリが下部プレナムに移行した)
* 馬蹄形リング構造内側にあった溶融デブリプールの重量はおよそ30トンであり、その一部が下部プレナムに移行
<gallery widths="600" heights="300">
ファイル:デブリ取り出し 18.png|'''<big>図7(a) 炉心南西側(110~155°)の馬蹄形リング構造の様子 [5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 19.png|'''<big>図7(b) 炉心南側(155~200°)の馬蹄形リング構造の様子 [5]</big>'''
</gallery><gallery widths="600" heights="300">
ファイル:デブリ取り出し 20.png|'''<big>図7(c) 炉心南西側(200~250°)の馬蹄形リング構造の様子 [5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 21.png|'''<big>図7(d) 炉心西側(250~290°)の馬蹄形リング構造の様子 [5]</big>'''
</gallery><gallery widths="600" heights="300">
ファイル:デブリ取り出し 22.png|'''<big>図7(e) 炉心西側(290~335°)の馬蹄形リング構造の様子 [5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 23.png|'''<big>図7(f) 炉心北側(335~25°)の馬蹄形リング構造の様子 [5]</big>'''
</gallery><gallery widths="600" heights="300">
ファイル:デブリ取り出し 24.png|'''<big>図7() 炉心北側(335~25°)の馬蹄形リング構造の様子(ボーリング後) [5]</big>'''
ファイル:デブリ取り出し 25.png|'''<big>図7(h) 炉心北東側(25~70°)の馬蹄形リング構造の様子 [5]</big>'''
</gallery>
== 初期の下部プレナム調査 ==
ここから、


ここから、、
== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
[1] G.R. Brown, US DOE Three Mile Island Research and Development Program 1985 Annual Report, GEND-055, 1986.
[1] G.R. Brown, US DOE Three Mile Island Research and Development Program 1985 Annual Report, GEND-055, 1986.
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[7] L.S. Beller and H.L. Brown, Design and Operation of the Core Topography Data Acquisition System for TMI-2, GEND-INF-012, 1984.
[7] L.S. Beller and H.L. Brown, Design and Operation of the Core Topography Data Acquisition System for TMI-2, GEND-INF-012, 1984.
[8] 初期の下部プレナム調査

2025年3月6日 (木) 15:36時点における最新版

 ここでは、1985年10月から1986年6月までに実施された、初期のデブリ取り出し作業中に得られた知見をまとめる。

初期のデブリ取り出し

 TMI-2炉での燃料・デブリ取り出しは、1985年10月に開始された[1,2]。第一段階では、上部ルースデブリベッドの上に崩落していた上部端栓や燃料集合体の上部を収納缶内に回収、あるいは、一部は炉心周辺部にいったんよける作業が行われた[1]。回収された燃料集合体上部は、Distinct Component(形状を維持した燃料デブリ)として、INELに送付され、分析が行われた[3]。次に、1985年12月から、長尺ツールを使った岩石状/瓦礫状デブリの回収作業が開始された(#打撃チゼルによる瓦礫デブリの破砕やシャーリングによる切断などの作業を含む)。また、1986年1月には真空吸引システムによる粒子状/粉末状デブリの吸引回収作業が開始された[2]。設置された真空吸引システムでは大きな粒子が吸引できなかったため、高圧ホースによるウォータージェットシステムにより粒子を巻きあげる作業が追加された。この改良により、1986年4月から真空吸引システムの運用が本格化し、ルースデブリの回収速度はおよそ1.36kg/分を達成した。

 一方、1986年1月ごろから、微生物の繁殖により冷却水の水質が急激に悪化し、1986年2月ごろには透明度がほぼ失われた[2]。微生物は、事故時に冷却のために用いられた河川水中に存在していたと推定された。しかし、ブラインド作業でデブリ取り出しが継続された。また、炉心周辺部に残留していた燃料集合体の倒壊・切断・収納缶への回収作業も進められた。水質改善のために、殺生物剤(過酸化水素)と微生物の死骸をフィルター上で凝固させる凝固剤が投入された。さらに、微生物繁殖の餌となっていた長尺ツールの油圧媒体が非オイル系に交換された。これらの対策により、1986年5月ごろには、水質の改善が見られた。1987年初頭にはポリマー凝固材を投入することで、水質が大きく改善した[4]。

 1986年6月には、上部ルースデブリの大部分と、周辺燃料集合体42体のうち約半数の回収が完了した。上部ルースデブリを除去した後に、炉心外周部に残留していた燃料集合体のすぐ内側(#上部ルースデブリに埋もれていた)に、馬蹄形リング構造と称される、粒子状/瓦礫状デブリの凝集領域が存在することが確認された[4]。馬蹄形リング構造は、デブリふるまいメカニズムを理解する上で重要な情報を有していると判断され、ビデオ観察と探針調査が行われた。しかし、デブリ取り出しには直接必要でないと判断され、サンプリングは行われなかった。

 ここで、いったんデブリ取り出しは中断され、ボーリング装置を用いた溶融凝固層(#上部ルースデブリベッドの下部に存在)の掘削調査の準備が進められた[2]。1986年7月にボーリング調査が行われ、9本のボーリングサンプルが回収された。あわせて、ボーリング孔を通じて小型カメラが下部プレナムに吊り降ろされ、下部プレナム堆積デブリのビデオ観察とサンプリングが行われた。その後、ボーリング装置の先端ピットを硬いブロック状のものに交換し、デブリ取り出しに向けて、48本のボーリングによる溶融凝固層の破砕作業が行われた。並行して、取り出し初期に収納缶に入らなかったため炉心外周部によけられていた上部端栓の固着物が遮蔽付きのドラム缶に回収された。この段階で、水質がさらに改善した。第1回めの溶融凝固層破砕作業では、真空吸引システムで回収できるサイズまでデブリを微細化できなかったため、さらに、大口径で硬い先端ピットに交換し、409本のボーリングが行われた。これにより、馬蹄形リング構造物の内側で、切り株燃料集合体の上の領域にあった溶融凝固層はほぼ破砕された(スイスチーズ化)。1986年11月に、デブリ取り出しはいったん中断され、水質の更なる改善と、ボーリング作業で形成された瓦礫状デブリの回収方法の検討が進められることとなった。1986年末までに、核燃料物質の約20%が回収された。ボーリング調査以降の進捗は別項目でまとめる。

 デブリ取り出しに並行して、炉心周辺に残留していた破損燃料集合体と上部空洞底部、および、馬蹄形リング構造のビデオ調査が、1985年12月、1986年1月、6月、7月、10月、12月、さらに1987年2月に行われた[2,5]。

  • 12月、1月調査: 炉心周辺の残留燃料集合体と上部ルースデブリ表面の調査、周辺燃料集合体のサンプリング
  • 6月調査: 上部ルールデブリ回収後の上部空洞床面(溶融凝固層表面)の調査
  • 7月調査: ボーリング孔の内部、炉心下部構造物、下部プレナム堆積物の表面の調査
  • 10月調査: 上部空洞の側面と床面の再調査(周辺部燃料集合体と上部ルースデブリの残留状態の調査)
  • 12月調査: 上部空洞底部(ボーリングマシンでの溶融凝固層のスイスチーズ化の状態)
  • 2月調査: 馬蹄形リング構造の残留状態の調査

 また、デブリ取り出し開始前の1985年の2月と7月には、上部プレナム構造物のジャッキアップで形成された、ダウンカマーの円環状領域4か所からCCTVを吊り降ろし、事故後初めて下部プレナムの調査とデブリサンプリングが行われた[8]。1985年の12月には、周辺に残留していた燃料集合体サンプルの回収と分析も行われた[9]。

参考:TMI-2事故炉の状態まとめ

参考:TMI-2の内部調査とデブリ取り出しの時系列

参考:一部形状を残していた燃料集合体の詳細分析データ

参考:周辺燃料集合体の分析データ(調査中)

参考:下部プレナム調査(調査中)

参考:ボーリング調査(調査中)

炉心周辺部と上部空洞床面の調査

図1 炉心外周部でのビデオ調査範囲(Core topographyマップ[7]に重ねて示す)

 1985年12月から1986年1月にかけて、ルースデブリ取り出し開始直後の、上部空洞周辺の様子がビデオ撮影された[5]。また、残留燃料棒のサンプリングと分析が行われた[6]。

画像データ

 炉心外周部については、撮影されたビデオ画像データをもとに、8枚のイメージプレートが作成された[5]。図1に、8枚のイメージプレートの観測部位を、上部空洞中間高さに相当するCore Topography像に重ねて示す(#参考文献[7]に基づいて作成)。図2(a)~(h)に、北側から時計回りに各部位でのイメージプレートを示す[5]。また、図3(a)~(d)には、ルースデブリ上に堆積していた複数タイプのデブリ形状を、図4図5には、倒壊していたL1とP4燃料集合体の様子を、それぞれ示す[5]。(#以下では、図のサイズの都合上、番号通りに掲載されていないことに注意

参考:Core Topography計画

調査結果の概要

  • 撮影された上部空洞周辺のビデオ画像は、Core Topographyで得られた3Dマップとよく一致していた。
  • 燃料集合体のうち、可燃性毒物スパイダーが装荷されていた集合体は、その周辺の制御棒スパイダーが装荷されていた集合体に比べて損傷が激しい傾向が見られた。これは、可燃性毒物棒被覆管のZryと可燃性毒物棒内に装荷されていたAl2O3との反応、あるいは、酸化して蒸発したホウ素や炭素との反応によると推定された[5]。
  • ほぼすべての燃料棒で、スウェリングとバルーニングによるバーストが見られた。しかし、冷却水流路を閉塞するほどの激しい損傷は見られなかった。
  • L1燃料集合体では、燃料棒被覆管と燃料ペレットの相互作用、燃料被覆管とSSやInconel材との共晶反応、による燃料棒の初期損傷の痕跡が観測された。
  • P4燃料集合体の観察結果から、上部空洞の下の方で、周辺部の燃料集合体の損傷が激しい傾向が見られた。さらに、その下のルースデブリ堆積面の下で損傷が大きかった。

サンプリング

 1985年12月の調査では、炉心南東部から、周辺燃料集合体サンプルが切り出され、分析が行われた[6]。分析結果の詳細は、サンプル分析の項目に示す。

参考:炉心周辺に残留していた燃料集合体サンプルの分析データ

馬蹄形リング構造の調査

図6 馬蹄形リング構造の概略範囲(ハッチング)と週燃料集合体の残留位置(赤線の外側) [4,5]

 馬蹄形リング構造は、1985年12月から1986年6月にかけて進められた上部ルースデブリの取り出しにともなって、その周辺部に出現した。瓦礫状などの様々なデブリの凝集物とみなされ、事故進展メカニズムを推定する上での有力なエビデンスと判断された[4]。円環が一部欠けたような構造をしており、炉心方位角で120~70°に存在していた(図6)。図では、周辺部に残留していた燃料集合体のおよその境界線を赤線であわせて示す[5]。残留していた周辺燃料集合体の内側に馬蹄形リング構造が存在していたことがわかる。円環の内径は約250cm、高さは約70cm、幅は約20cmであった。凝集物の上部は凸凹しており、破損燃料棒等が化石のように埋まっていた。凝集物の下部内面は石畳状の表面であり、上部に比べてへこみ、洞窟のような構造であった。馬蹄形リング構造は下部では、溶融凝固したクラスト層とつながっていた。デブリ取り出し作業やボーリング調査の過程で、一部崩落するなどで形状が変化した。

調査方法

 馬蹄形リング構造の観察と分析により、事故進展メカニズムを推定するための有力知見が得られると考えられたが、デブリ取り出しに直接かかわる知見が得られるわけではないと判断された。したがって、ビデオサーベイと探針調査が行われ、サンプリングは行われなかった[4]。

 ビデオサーベイでは、ここまでの段階で用いられてきたものと同様のCCTVシステムが用いられた。探針調査は、1986年3,7,11,12月と1987年2月に、場所を変えつつ実施され、馬蹄形リング構造の侵入深さやサイズが計測された。ボーリング調査前後での形状変化も測定された。探針調査の内、1986年3,12月と1987年2月には、スライドハンマーを利用した探査針の打ち込み調査が行われた。一方、7月と11月の調査では、ボーリングドリルが用いられた。このうち3月調査の時点では水質が極めて悪化していたため、ほぼブラインド作業であり、得られたデータが不正確だった可能性が考えられた。

調査結果

 炉心周辺部の燃料集合体と同様に、8枚のイメージプレート画像として、調査結果がとりまとめられた。図7(a)~(h)に、炉心周辺のイメージプレート画像をそれぞれ示す[4]。凝集物に破損燃料棒が化石のように埋まっている様子、内面が洞窟形状にへこみその表面が石畳状になっている様子などが確認できる。探針調査では、調査の時期により、馬蹄形リング構造の形状や探査針の侵入深さが異なっていたという調査結果が得られた。

 これらの観測結果から、事故進展メカニズムに関する知見がまとめられた。

  • 馬蹄形リング構造の上表面は、事故時に形成された溶融デブリプールの一部が、クラスト層を破損して下部プレナムに移行する直前の溶融凝固層の上表面にほぼ一致
  • 馬蹄形リング構造内側の空洞と、方位角50~120°の馬蹄形の切れ目は、溶融デブリプール物質の移行に対応(#切れ目の反対側で、クラスト層が破損し、溶融デブリが下部プレナムに移行した)
  • 馬蹄形リング構造内側にあった溶融デブリプールの重量はおよそ30トンであり、その一部が下部プレナムに移行

初期の下部プレナム調査

ここから、

参考文献

[1] G.R. Brown, US DOE Three Mile Island Research and Development Program 1985 Annual Report, GEND-055, 1986.

[2] US DOE Three Mile Island Research and development Program 1986 Annual Report, GEND-060, 1987.

[3] S.M. Jensen, D.W. Akers, E.W. garner, G.S. Roybal, Examination of the TMI-2 core distinct components, GEND-INF-082, 1987.

[4] M.L. Russell, TMI-2 Core Horseshoe Ring Examination, GEBD-INF-083, 1987.

[5] M.L. Russell, TMI-2 Core Cavity Sides and Floor Examinations December 1985 and January 1986, GEND-INF-074, 1987.

[6] D.W. Akers, M.L. Russell, TMI-2 Standing Fule Rod Segments: Preliminary Examination Report, GEND-INF-087, 1987.

[7] L.S. Beller and H.L. Brown, Design and Operation of the Core Topography Data Acquisition System for TMI-2, GEND-INF-012, 1984.

[8] 初期の下部プレナム調査