初期の燃料デブリ取り出し中に得られた知見

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 ここでは、1985年10月から1986年6月までに実施された、初期のデブリ取り出し作業中に得られた知見をまとめる。

初期のデブリ取り出し

 TMI-2炉での燃料・デブリ取り出しは、1985年10月に開始された[1,2]。第一段階では、上部ルースデブリベッドの上に崩落していた上部端栓や燃料集合体の上部を収納缶内に回収、あるいは、一部は炉心周辺部によける作業が行われた[1]。回収された燃料集合体上部は、Distinct Component(形状を維持した燃料デブリ)として、INELに送付され、分析が行われた[3]。次に、1985年12月から、長尺ツールを使った岩石状/瓦礫状デブリの破砕及び摘まみ上げ回収作業が開始され、1986年1月には真空吸引システムによる粒子状/粉末状デブリの吸引回収作業が開始された[2]。設置された真空吸引システムでは大きな粒子が吸引できなかったため、高圧ホースによるウォータージェットシステムにより粒子を巻きあげる作業が追加された。この改良により、1986年4月から真空吸引システムの運用が本格化し、ルースデブリの回収速度はおよそ1.36kg/分を達成した。

 一方、1986年1月ごろから、微生物の繁殖により冷却水の水質が悪化し、1986年2月ごろには、透明度がほぼ失われた[2]。しかし、ブラインド作業でデブリ取り出しが継続された。また、燃料集合体の倒壊・切断・収納缶への回収作業も進められた。水質改善のために、殺生物剤(過酸化水素)が投入され、また、微生物の死骸をフィルター上で凝固させる凝固剤が投入された。さらに、微生物繁殖の餌となっていた長尺ツールの油圧媒体が非オイル系に交換されることで、1986年5月ごろには、水質の改善が見られた。

 1986年6月には、上部ルースデブリと、周辺燃料集合体の一部の回収が完了した。上部ルースデブリを除去した後に、炉心外周部に残留していた燃料集合体のすぐ内側に、馬蹄形リング構造と称される、粒子状/瓦礫状デブリの凝集領域が存在することが確認された[4]。馬蹄形リング構造は、デブリふるまいメカニズムを理解する上で重要な情報をゆうしている判断され、ビデオ観察と探針調査が行われた。しかし、デブリ取り出しには直接必要でないと判断され、サンプリングは行われなかった。

 ここで、いったんデブリ取り出しは中断され、ボーリング装置による溶融凝固層の掘削調査の準備が進められた[2]。1986年7月にボーリング調査が行われ、9本のボーリングサンプルが回収された。同時に、ボーリング孔を通じて小型カメラを下部プレナムに吊り降ろし、下部プレナム堆積デブリの様子とサンプリングが行われた。ついで、先端ピットを硬いブロック状のものに交換し、48本のボーリングによる溶融凝固層の破砕作業が行われた。さらに、取り出し初期に収納缶に入らなかったため炉心外周部によけておいた上部端栓の固着物をが遮蔽付きのドラム缶に回収された。この段階で、水質がさらに改善した。第1回めの溶融凝固層破砕作業では、真空吸引システムで回収できるサイズまで微細化できなかったため、さらに、大口径の先端ピットに交換し、409本のボーリングが行われた。これにより、馬蹄形リング構造物の内側で、切り株燃料集合体の上の領域にあった溶融凝固層はほぼ破砕された(スイスチーズ化)。1986年11月に、デブリ取り出しはいったん中断され、水質の更なる改善と、瓦礫状デブリの回収方法の検討が進められることとなった。1986年末までに、核燃料物質の約20%が回収された。ボーリング調査以降の進捗は別項目でまとめる。

 デブリ取り出しに並行して、炉心周辺に残留していた破損燃料集合体と上部空洞底部のビデオ調査が、1985年12月、1986年1月、6月、7月、10月、12月に行われた[2,5]。

  • 12月、1月調査: 炉心周辺の残留燃料集合体と上部ルースデブリ表面の調査
  • 6月調査: 上部ルールデブリ回収後の上部空洞床面(溶融凝固層表面)の調査
  • 7月調査: ボーリング孔の内部、炉心下部構造物、下部プレナム堆積物の表面の調査
  • 10月調査: 上部空洞の側面と床面の再調査(周辺部燃料集合体と上部ルースデブリの残留状態の調査)
  • 12月調査: 上部空洞底部(ボーリングマシンでの溶融凝固層のスイスチーズ化の状態)

参考:TMI-2事故炉の状態まとめ

参考:TMI-2の内部調査とデブリ取り出しの時系列

参考:一部形状を残していた燃料集合体の詳細分析データ

参考:ボーリング調査(調査中)

炉心周辺部と上部空洞床面の調査

 1985年12月から1986年1月にかけて、ルースデブリ取り出し開始直後の、上部空洞周辺の様子がビデオ撮影された[5]。また、残留燃料棒のサンプリングと分析が行われた[6]。

参考:周辺燃料集合体サンプルの分析(調査中)

画像データ

図1 炉心外周部でのビデオ調査範囲(Core topographyマップ[7]に重ねて示す)

 炉心外周部については、撮影されたビデオ画像データをもとに、8枚のイメージプレートが作成された[5]。図1に、8枚のイメージプレートの部位を、上部空洞中間高さのTopography像に重ねて示す[参考文献7に基づいて作成]。図2(a)~(h)に、北側から時計回りに各部位でのイメージプレートを示す[5]。また、図3には、ルースデブリ上に堆積していた形状を維持していた燃料集合体上部(Distinct Component)を、図4図5には、倒壊していたL1とP4燃料集合体の様子を、それぞれ示す[5]。

参考:Core Topography計画

調査結果の概要

  • 上部空洞周辺の状態はTopographyで得られたマップとよく一致していた。
  • 燃料集合体のうち、可燃性毒物スパイダーが装荷されていた集合体は、その周辺の制御棒スパイダーが装荷されていた集合体に比べて損傷が激しい傾向が見られた。これは、可燃性毒物棒被覆管のZryと可燃性毒物棒内に装荷されていたAl2O3との反応、あるいは、酸化して蒸発したホウ素や炭素との反応によると推定された[5]。
  • ほぼすべての燃料棒で、スウェリングとバルーニングによるバーストが見られた。しかし、冷却水流路を閉塞するほどの激しい損傷は見られなかった。
  • L1燃料集合体では、燃料棒被覆管と燃料ペレットの相互作用、燃料被覆管とSSやInconel材との共晶反応、による燃料棒の初期損傷の痕跡が観測された。
  • P4燃料集合体の観察結果から、上部空洞の下の方で、周辺部の燃料集合体の損傷が激しい傾向が見られた。さらに、その下のルースデブリ堆積面の下で損傷が大きかった。
デブリ取り出し 14.png






















































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馬蹄形リング構造の調査

ここから、、

参考文献

[1] G.R. Brown, US DOE Three Mile Island Research and Development Program 1985 Annual Report, GEND-055, 1986.

[2] US DOE Three Mile Island Research and development Program 1986 Annual Report, GEND-060, 1987.

[3] S.M. Jensen, D.W. Akers, E.W. garner, G.S. Roybal, Examination of the TMI-2 core distinct components, GEND-INF-082, 1987.

[4] M.L. Russell, TMI-2 Core Horseshoe Ring Examination, GEBD-INF-083, 1987.

[5] M.L. Russell, TMI-2 Core Cavity Sides and Floor Examinations December 1985 and January 1986, GEND-INF-074, 1987.

[6] D.W. Akers, M.L. Russell, TMI-2 Standing Fule Rod Segments: Preliminary Examination Report, GEND-INF-087, 1987.

[7] L.S. Beller and H.L. Brown, Design and Operation of the Core Topography Data Acquisition System for TMI-2, GEND-INF-012, 1984.