TMI-2事故炉の状態まとめ
参考文献[1]のAppendix-Bに、TMI-2事故炉の圧力容器内部調査とデブリ取り出しの過程で得られた知見が簡潔にまとめられている(図1)。
燃料デブリの重量推定
事故前の炉心インベントリーは、UO2が約94トン、燃料被覆管/制御棒/可燃性毒物棒/軸方向出力調整棒、およびその他の燃料集合体部材などが併せて約35トンであった。事故の過程で、燃料被覆管や構造材が酸化して重量増加したこと、また、炉心上部の構造物が一部溶融してデブリとして存在したこと、等により、デブリ総重量は133トンと推定された。また、各種の内部調査とデブリ取り出し過程での観測結果から、炉心物質の約50%が事故過程でいったん溶融して凝固したと推定されている。
参考:炉心インベントリー
事故時の温度推定
炉心中央に堆積した溶融凝固層については、破砕して堆積していたUO2ペレットに溶融した痕跡が見られたことから、事故時のピーク温度は>3120K(UO2融点)と推定されている。また、炉心上部の構造物には、若干の付着物が観測されたものの、溶融の痕跡は観測されなかった。一方で、上部格子には燃料集合体の上部が一部残留し、溶融・固着していた。これらのことから、上部格子より上の構造物内では、事故時に大きな温度勾配が発生していたと推定された。上部格子近傍では、炉心上部構造材の溶融状態の痕跡から、ピーク温度1244Kと推定された。ホットレグノズルの高さ位置では723Kと推定された。
参考:事故進展シナリオ
事故時の燃料デブリふるまいの概要
冷却水水位の低下にともなって炉心上部が露出し、炉心温度の上昇と燃料被覆管の酸化が進んだ。さらに、温度上昇にともなって制御材(Ag-In-Cd)の溶融や、SS材、Inconel材とZry材との界面での共晶溶融が発生し、形成された金属メルトが炉心下方に溶落し、冷却水水位の近傍でいったん凝固したと考えられている。これが下部クラスト層形成の起点となったと推定されている。ついで、冷却水の再投入をきっかけにして、炉心上部で昇温され酸化が進んでいた燃料棒が崩落したことで、炉心上部に空洞が形成され、炉心中央部に破損・崩落した炉心物質によるデブリベッドが形成された。崩落直前までは、燃料被覆管のZryが水蒸気酸化することで発生する酸化熱で炉心・燃料温度は急上昇したが、崩落してデブリベッド形成されるとZryの表面積が急に減少し、デブリ温度はいったん低下した。
崩落した炉心物質が炉心下部を閉塞したことより、デブリベッド内には水蒸気が侵入しにくくなって崩壊熱が除去されにくくなり、デブリベッド内で再昇温・再溶融が発生した。形成された溶融デブリプールは次第に拡大し、一方で、冷却水水位が次第に回復したため、炉心中央部が冷却水内に水没した。これらにより、炉心中央の溶融デブリプールと周囲のデブリベッドとの間に大きな温度勾配が発生し、その結果として、溶融プールの周辺にクラスト層が形成された。さらに冷却水水位が回復し、上部に堆積していたデブリベッド内にも冷却水が侵入したことで溶融プールが加圧され、クラスト層の上部(炉心東側)が破損し、溶融デブリが短時間で流出したと推定されている。
流出した溶融デブリ(約30トンと推定)は、炉心外周を囲っていたバッフル板に到達してこれを破損し、バッフル板の外側にあるコアフォーマー領域を通過して、炉心下部プレナムに移行した(下部プレナムへの移行量は約19トンと推定)。下部プレナムには、冷却水が残留していたため、デブリは冷却されて固化し堆積した。他方、炉心中央部では、溶融デブリの相当量が下部プレナムに移行したことで、より冷却されやすい状態となった(崩壊熱源の減少、冷却されやすいデブリ形状)。これらにより、燃料デブリ温度が低下し、事故は収束に向かったとされている。
参考:事故シナリオ
事故後の炉内状態
炉心上部構造物
参考文献
[1] The Cleanup of Three Mile Island Unit 2, A Technical History: 1979 to 1990, EPRI NP-6931, 1990.