TMI-2での内部調査、デブリ取り出しの概要

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TMI-2でのデブリ取り出しへの取り組み(総括)

 ここでは、従来経験のないプロジェクトとなった、米国スリーマイル原子力発電所2号機(TMI-2)事故での燃料デブリ取り出しへの取り組みについての総括レポート[1,2]の概要を紹介する。燃料デブリ取り出しでは、内部調査や燃料デブリ取り出しのために、新たに開発した機器・設備について、あらゆるタイプの初期トラブルを経験した。また、研究開発プロジェクト向けには、まったく整備されていなかった許認可・規制の下で、運転しながら、そのトラブルに対応した。

 重要な判断ポイントで、データ不足、不十分なデータ、ミスリーディングな知見・データでの対応をせまられた。例えば、事故炉の封じ込め領域の線量は、事故直後には>1000mrem/hと予想された。また、圧力容器内部の破損状態は、現在知られているものよりはるかにひどい状態が予想されていた。しかし、実際の状況は、しばしば当初予想ほどにはひどくなかった。1980年の最初の建屋内立ち入り調査で(図3、表1)、封じ込め領域の線量は100-200mrem/hであることがわかり、さらに、除染と遮蔽作業により、除染作業は40-80mrem/hの環境で実施できるようになった。燃料デブリ取り出し作業は10mrem/hの環境で実施できるようになった。また、1982年の圧力容器内部調査により、この調査は炉心上部に限られていたが、容器内の破損状態が大きく修正された。これらに基づいて、TMI-2での燃料デブリ取り出しには、約10億ドルのコストがかかると概算され(図1)、燃料デブリ取り出しの工程表が定められた(図2)。

 ここからの教訓として、先進的な手法で得られる現場観測データが最も重要である、ことが指摘されている。一方で、機器・手法開発と現場適用のバランスの重要性、つまり、先進機器・手法により、開発エフォート、時間、作業員の被ばくなどを消費して取得されるデータが、どの程度現場の作業計画や工程に反映できるのか、というジレンマが常に存在したこと、が指摘されている。しかし、判断のために本質的に必要な現場観測データというものは必ず存在していた。

 また、十分にわからない現場、多くの技術的課題、予算、情報公開、原子力安全に向けた情報収集ニーズが混在するプロジェクトを計画、完遂するには、正解がないことが指摘されている。プロジェクトの方向性や運営は、燃料デブリ取り出し工程がマイルストーンに到達し、圧力容器内部の理解が深まるたびに、しばしば変更された。最初の数か月は、プラントを安定させるために、アドホックな対応がなされた。150の企業の代表者がオンサイトに集まり、GPU社をサポートした。次の数年間は、古典的な方法が、内部調査、除染、デブリ取り出しの計画立案などに用いられた。1985年にデブリ取り出しが開始された後、前例のない仕事における新たな課題に次々に遭遇した。重要課題の一つが水不足であり、解決にほぼ1年を要した。このような工程では、工程運営の自由度が必要であり、燃料デブリ取り出しと搬出に向けたタスクオリエントな運営組織体となった。

 燃料デブリ取り出しには35か月以上必要とし、現在は、取り出し後のモニタリング段階に入っている。

図1 TMI-2事故炉の除染、デブリ取出しコスト見積[1]











図2 TMI-2事故炉の燃料デブリ取出し工程表[1]







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内部調査、デブリ取り出し作業の経緯

 1979年3月に、TMI-2で過酷事故が発生した。原子炉圧力容器内部の損傷状況の把握は、燃料(破損燃料集合体や燃料デブリ)や構造物の取り出し方法の選定や、事故シナリオの解明に向けた重要な情報となった。ここでは、TMI-2事故における、原子炉圧力容器の内部調査とデブリ取り出しの経緯をまとめた。また、関連情報を時系列にまとめることで、どの段階でどのような情報が得られ、それがどのようにデブリ取り出し方法の選定や事故シナリオの解明に活用されたのかを整理した。

 図3、表1に、内部調査とデブリ取り出しの経緯を概略的に示す。また、図4に、内部調査やサンプル分析によって解明されたTMI-2事故での原子炉圧力容器内の最終形態の模式図を示す。事故翌年(1980年)の7月から、建屋内へ立ち入り調査と除染作業が開始された。事故直後に予想された建屋内閉じ込め区域の線量(>1000mrem/h)より、実際の線量がかなり低いことが明らかになった(100-200mrem/h)。さらに、除染と遮蔽作業により、除染作業は40-80mrem/hの環境で実施できるようになった。燃料デブリ取り出し作業は10mrem/hの環境で実施できるようになった。また、事故から3年後(1982年)の7月から、原子炉圧力容器の内部調査が開始され、内部の様子が段階的に明らかにされた。圧力容器内部の状態は、事故直後に予想された状態ほどにはひどい状況になっていないことが明らかになった。この観測結果に基づいて(上部ルースデブリより下の状態は不明であったが)、燃料デブリ取り出しの費用(約10億ドル、図1)と、工程表(図2)が定められた。

 最初の圧力容器内部調査では、テレビカメラによる圧力容器上部の調査が行われ、上部炉心構造物の状態(上部格子に一部溶融の痕跡)や本来炉心があった部分の上部に空洞があることが確認された。さらに、空洞部分にソナーを挿入し、炉心周辺部に残留していた燃料集合体の状態や空洞部の下に堆積していた上部ルースデブリの状態が調査された。ついで、上部ルースデブリのサンプリングと分析、および、プランジャと飛ばれる探針を使った上部ルースデブリの深さ方向調査が実施され、炉心中央部に探針が貫通できない硬い層(上部クラスト層)があることが明らかになった。

 この間、上部ルースデブリを対象に、デブリ取り出し工法が検討された。遠隔手動により、まず、原子炉圧力容器内の上部構造物を解体して取り出し、次に、あいた空間に、破損燃料や燃料デブリを回収しキャニスターに装荷する作業台を設置する。キャニスターに装荷したデブリは、原子炉圧力容器外に取り出し、燃料移送管で使用済み燃料プールに移送、貯蔵ラックに一時保管した後で、輸送キャニスターに収納し、INELに輸送するという工法が採用された[2,3]。これに基づいて、1984年7月に原子炉圧力容器の上蓋が解放され、上部炉心構造物の解体・取り出しが開始された。1985年5月には、燃料・デブリ取り出し用の回転式遮蔽作業台が、上部炉心構造物を取り出した後に設置され、同年10月には、上部ルースデブリの取り出しが開始された。

 一方、上部クラスト層以下についてはほとんど情報が得られていなかったため、炉心上部での作業と並行して、1985年2,7,12月に、ダウンカマーからテレビカメラを挿入し、炉心下部の調査が行われた。その結果、下部炉心構造物の形状がおおむね維持されていることや、デブリとみられる堆積物が底部に非均質に堆積しており、非常に細かい物質と岩石状の物質が混在していることが明らかになった(下部プレナムルースデブリ、下部プレナムハードデブリ)。

 1986年6月に上部ルースデブリの取り出しが終了した後、同年7月に、上部クラスト層以下に対して、ボーリング調査が10か所行われた(図5)。ボーリングで採集したサンプルの分析とボーリング孔内面のビデオカメラ調査により、上下クラスト層の間に溶融凝固したとみられるもろい多孔質層があることが明らかになった。また、溶融凝固層は炉心中央で厚く、周辺にいくにつれて薄くなり、炉心外周部あたりでは上下クラスト層が一体化して周辺クラスト層を形成していることが明らかになった。さらに、ボーリングした穴を利用して、下部プレナムにテレビカメラを挿入し、下部クラスト層の下の状態を観測した。そこには本来形状をほぼ維持している切り株状の燃料集合体が存在していることが確認された。これらの情報に基づき、上部クラスト層より下のデブリについては、取り出し方法を変更することが検討された[2,3]。すなわち、硬い層については、ボーリング装置で粉砕し長尺工具で取り出すこと、炉心周辺部に残留する燃料集合体切り株燃料集合体については、切断引き抜きで取り出すことに変更された。1987年3月までに、クラスト層とそれに囲まれた溶融凝固層、及び、炉心周辺部に残留していた燃料集合体の取り出しは終了し、さらに、1987年の4~12月に切り株燃料集合体の取り出しが行われた。

 上部クラスト以下のデブリの取り出し過程で、溶融デブリの一部が、南東側のバッフル板を破損して、バッフル板圧力容器槽の間のコアフォーマ領域に侵入していることが明らかになった。そこで、1987年2,10月に、コアフォーマ領域にファイバースコープを挿入した調査が行われた。また、1987年3月には、下部炉心構造物のテレビカメラ調査が行われた。さらに、切り株燃料集合体の切り出しと並行して、次第に露出してくるバッフル板のテレビカメラ撮影が行われた。これらの調査により、コアフォーマ領域の全周に対して約3/4に溶融凝固物が侵入していることや、溶融凝固物コアフォーマ領域やその手前にある炉心周辺部の燃料集合体の冷却剤流路を通じて下部プレナムに移行したことが明らかにされた。

 1988年1月からは、下部炉心構造物の切断と下部プレナムデブリの取り出しが開始された。これらの工程では、ボーリング装置やプラズマアーク装置がデブリや構造物の切断に利用され、取り出し作業はテレビカメラ撮影された。1989年3月時点で、デブリ取り出しの進捗率は約78%に達し、1990年上半期には取り出し作業はほぼ終了した。

図3

図4

表1 TMI-2事故における内部調査とデブリ取り出し作業の時系列
時期 内部調査 デブリ取り出し作業 備考
1979.3 〇 事故発生
1980.7 建屋内調査開始 建屋内の除染作業開始 〇 除染・遮蔽作業開始 ==>建屋内の作業環境改善

(#燃料デブリ取り出し開始までに、建屋内はおおむね40-80mrem/h、燃料デブリ取り出し作業は10mrem/h) 〇 燃料デブリ取り出し工法を選定、概略予算と工程表も決定(図1、2

-分取・切り出した破損燃料or燃料デブリを、圧力容器上部でキャニスターに装荷

-キャニスターを圧力容器外に取り出し

-キャニスターを燃料移送管で補助建屋の使用済み燃料プールに移送、貯蔵ラックに一時保管

-輸送キャスクに収納してINELに移送

(#建屋内立ち入り調査、圧力容器内テレビカメラ調査により、事故直後に推定していた圧力容器内の破損状態や線量分布に比べ、実際の状態がそこまでひどくないこと(例:上部炉心構造物やシュラウドがほぼ残留、燃料デブリは上の方はルースデブリで比較的取り出しやすい、等)がわかり、燃料デブリ取り出し費用が概算され、工程表が定められた。)

1982.7 圧力容器内テレビカメラ調査開始

-テレビカメラを用いた上部炉心構造物の調査 -テレビカメラ、ソナーを用いた上部空洞や周辺に残留していた燃料集合体の調査 -テレビカメラ、探針(プランジャ、63か所)を用いた上部ルースデブリの調査

1984.7 圧力容器上蓋開放

上部炉心構造物取り出し開始

1985.5 圧力容器常備に燃料取り出し用の回転式遮蔽作業台を設置
1985.2,7,12 炉心下部(下部プレナム)のテレビカメラ調査

-ダウンカマーを利用してカメラを挿入

〇 燃料デブリ取り出し工法を修正

-クラスト層以下の硬い層については、ボーリング装置で粉砕し、長尺工具で取り出し -切り株燃料集合体と周辺に残留する燃料集合体は、切断引き抜きで取り出し

1985.10 上部ルースデブリ取り出し開始
1986.6 上部ルースデブリ取り出し終了
1986.7 ボーリング調査

-クラスト層以下に対して10か所実施(図3) -ボーリング孔を利用して、炉心下部のテレビカメラ調査

クラスト層、溶融凝固層の取り出し開始

周辺に残留する燃料集合体の取り出し開始

〇 下部プレナムデブリの取り出し方法、下部炉心構造物の解体方法を選定

-ボーリング装置とプラズマアーク装置を利用

1987.2,10 圧力容器槽とバッフル板の間のコアフォーマ領域の調査

-テレビカメラ、ファイバースコープ

1987.3 下部炉心構造物のテレビカメラ撮影
1987.4 デブリ取り出しに並行して、バッフル版破損個所のテレビカメラ撮影 切り株燃料集合体の取り出し開始
1987.12 切り株燃料集合体の取り出し終了
1988.1 下部炉心構造物と下部プレナムデブリの取り出し開始
1989.3 104t取り出し(進捗率約78%)
1990 取り出し終了

内部調査で得られた知見

 ここでは、1982年7月から開始され、燃料取り出しの進捗に即して、段階ごとに行われた様々な内部調査において、どのような知見が得られたのかをまとめた。

上部炉心構造物

 調査方法: テレビカメラ、中性子、ガンマ線

 観測結果: 上部格子以外はほぼ健全、上部格子の一部に溶融の痕跡と変色

 観測結果からの推定: 溶融の痕跡から、事故時のピーク温度を推定。変色の様子から構造物が事故進展中に水蒸気酸化した可能性を推定

 事故シナリオの推定: 上部ルースデブリが再冠水した際に発生した水蒸気流により、上部格子の溶融・酸化が発生

 (参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

炉心上部の空洞

 調査方法: テレビカメラ、ソナー、中性子、ガンマ線

 観測結果: 炉心上部に空洞を発見、空洞の下には、崩落・堆積したとみられるルースデブリ層を発見、炉心周辺部に燃料集合体が残留していることを確認

 デブリサンプル分析: 空洞周辺から、上部ルースデブリの表面近傍のサンプル採集、炉心周辺部の燃料集合体の一部を切り出し採集(上部格子近く、ルースデブリ堆積面あたり)

 観測結果、分析データからの推定: 空洞の容積を概算、そこから崩落した炉心物質の物量を概算。最深1.5mの深さ、空間体積9.3m3

 事故シナリオの推定: スクラム後174分での冷却水投入タイミングで高温酸化し脆化した燃料棒が崩落

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

上部ルースデブリ

 調査方法: テレビカメラ、ソナー、中性子、ガンマ線、探針(プランジャ:63か所)

 観測結果: 上部ルースデブリ層の堆積厚さを測定、その下には、探針が貫通できない硬い層があること、および硬い層は平滑面でなく凹凸があり、比較的外周側で馬蹄形リング状に盛り上がっていることを検出

 デブリサンプル分析: 上部ルースデブリの取り出し作業中に、ボーリング孔周辺から、デブリサンプルを数か所採集・分析(上部ルースデブリの表層近く、クラスト層の直上)

 観測結果、分析データからの推定: 堆積物の容積とデブリサンプルの密度分析から、上部ルースデブリの物量と堆積厚さ分布を概算。堆積厚み0.6~1m、重量26.4トン。酸化物系の燃料デブリ粒子の相状態((U,Zr)O2、UO2)から、燃料溶融・崩落時のピーク温度を推定(>2800K、局所的に>3100K)。さらに、粒子の接触状態等から、堆積後に粒子が広く再溶融した痕跡がなく、上部ルースデブリとして堆積した後のピーク温度が<2000Kと推定

 事故シナリオの推定: ピーク温度>2800K以上に到達し、溶融・崩落した炉心物質のうち、上の方は上部ルースデブリとして、堆積後にあまり再昇温・再溶融せず、粒子状を維持。冷却水注入により再冠水され冷却。再冠水時に、残留していた金属成分が酸化し、水素・水蒸気発生。上部ルースデブリ層は粒子状を維持し、その中への冷却水侵入にはある程度時間を要し(スクラム後200分以降)、その重量増加により上部クラストを圧迫し、溶融凝固デブリの噴出につながったと推定

  (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

炉心周辺部に残留していた燃料集合体

 調査方法: テレビカメラ、ソナー、中性子、ガンマ線(上部端栓付近の調査を重点的に実施)

 観測結果: 177体中42体の燃料集合体が炉心周辺部に残留、うち2体のみ全長に対して>90%無傷の燃料棒を保持

 デブリサンプル分析: 上部端栓、上部格子周辺から切り出してサンプル回収

 観測結果、分析データからの直接の推定: 燃料棒と制御棒、可燃性毒物棒の上部の溶融状態、付着状態から、径方向/軸方向に大きな温度勾配、および冷却過程に違いがあった痕跡

 事故シナリオの推定: 事故時に炉心周辺の燃料集合体でも下の方で燃料溶融が発生していたと推定

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

クラスト層と溶融凝固層

 調査方法: ボーリング調査(10か所)、ボーリング孔にテレビカメラ挿入(図4

 観測結果: 溶融凝固層は多孔質で、約3m径、中央で約1.5m厚、周辺で0.25m厚、その外側では上下クラスト層が一体化して周辺クラスト層を形成し、溶融凝固層は存在していない

 デブリサンプル分析: 溶融凝固層、上下クラスト層、周辺クラスト層、からサンプル回収

 観測結果、分析データからの推定: 溶融凝固層の重量は約32.7t。採集したサンプルの相状態から、上下クラスト層、周辺クラスト層、溶融凝固層の最高到達温度を推定、組成の違いを評価。上部クラスト層、周辺クラスト層、溶融凝固層については、最高到達温度>2800K、局所的に>3100K。下部クラストでは、未溶融の燃料ペレットの隙間に燃料被覆管などが溶融した相状態が観測され、ピーク温度<2200Kと推定。上部クラスト層、周辺クラスト層は、溶融凝固層に比べ、やや金属成分が多いことを測定

 事故シナリオの推定: スクラム後174分に炉心上部で燃料崩落し、その時点での冷却水水位の上あたりにいったん堆積し、ルースデブリを形成。堆積物中央には十分に冷却ガスや冷却水が供給されず、崩壊熱で再昇温・再溶融し、溶融プールを形成(スクラム後174-224分頃)。溶融プールは凝固時に多孔質化。上部クラストは、溶融凝固層の形成時にルースデブリとの界面あたりに形成。下部クラストは、初期に崩落した燃料が健全な燃料棒の隙間に堆積し、Zry被覆管を溶融したり、燃料ペレットのクラックに侵入したりして形成

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

切り株燃料集合体

 調査方法: ボーリング調査(10か所)、取り出し時にテレビカメラ撮影

 観測結果: 下部クラスト層と切り株燃料集合体のつながり状態を確認。画像解析により、一部に、上部からの高温溶融物移行による熱的損傷の痕跡、溶融Zr金属の燃料被覆管表面を伝わっての下部プレナム移行の痕跡、を観測

 デブリサンプル分析: 切り株燃料集合体からサンプル採集

 観測結果、分析データからの推定: 切り株燃料集合体と下部クラスト層、および、炉心周辺部に残留していた燃料集合体で、炉心中央の上部ルースデブリとクラスト層、溶融凝固層を支える構造であることを確認。健全燃料棒の燃料被覆管の断面組織から、最高温度<920Kと推定

 事故シナリオの推定: 切り株燃料集合体の領域は、燃料デブリ崩落時に水位があり、ピーク温度<1100Kと推定、一部に高温化、酸化による変色

  (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

バッフル板、コアフォーマ領域

 (ここから、記述追加)

 調査方法:

 観測結果:

 デブリサンプル分析:

 観測結果、分析データからの推定:

 事故シナリオの推定:

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

下部プレナムデブリ

 (ここから記述追加)

 調査方法: テレビカメラ、中性子、ガンマ線

 観測結果: 岩石状(およそ0.2mサイズ)、粒子状(<0.1mm)が混在、

 デブリサンプル分析: 下部プレナムデブリのサンプル採集

 観測結果、分析データからの推定: 溶融凝固した(U,Zr)O2が均質に存在、多孔質相。結晶粒界にZr,Fe,Alなどの酸化物が濃化。空隙の周辺に、マトリックスと異なる組成の領域を観測。

 事故シナリオの推定: スクラム後、、、

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動、参考:RPV下部ヘッドで採取された燃料デブリ試料の分析結果(微細構造)とデブリ移行メカニズムの推定



参考文献

[1] F.R. Standerfer, Three Mile Island Unit 2: Plant Recovery, Nucl. Technol. 87 (1989) 54-56.

[2] The Cleanup of Three Mile Island Unit 2 A Technical History 1979 to 1990, EPRI NP-6931.

[3] 渡会偵祐、井上康、舛田藤夫、TMI-2号機の調査研究結果、日本原子力学会誌 解説 vol. 32 (No. 4) (1990) 338-350.