TMI-2での内部調査、デブリ取り出しの概要

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内部調査、デブリ取り出し作業の概略経緯

 1979年3月に、米国スリーマイル原子力発電所2号機(TMI-2)で過酷事故が発生した。原子炉圧力容器内部の損傷状況の把握は、燃料(破損燃料、燃料デブリ)や構造物の取り出し方法の選定や、事故シナリオの解明に向けた重要な情報となる。ここでは、TMI-2事故における、原子炉圧力容器の内部調査とデブリ取り出しの概要をまとめた。関連情報を時系列にまとめることで、どの段階でどのような情報が得られ、それがどのようにデブリ取り出しに活用されたのかを整理した。

 図1に、内部調査とデブリ取り出しの進捗をまとめて示す。また、図2に、内部調査やサンプル分析によって解明された事故の最終形態の模式図を示す。事故翌年(1980年)の7月から、建屋内へ立ち入り調査と除染作業が開始された。さらに、事故から3年後(1982年)の7月から、原子炉圧力容器の内部調査が開始され、内部の様子が檀家合い的に明らかにされた。まず、テレビカメラによる原子炉上部の調査が行われ、上部炉心構造物の状態(上部格子に一部溶融の痕跡)や炉心上部に空洞があることが確認された。さらに、空洞部分にソナーを挿入し、炉心周辺部の燃料集合体の残留状態や空洞部の下に堆積していた上部ルースデブリの状態が調査された。ついで、プランジャと飛ばれる探針を使った上部ルースデブリの深さ方向調査が63か所実施され、炉心中央部に探針が貫通できない硬い層(上部クラスト層)があることが明らかになった。

 この間、上部ルースデブリについては、デブリ取り出し工法が選定された。これは、圧力容器上部で、遠隔手動により、回収したデブリをキャニスターに装荷して原子炉外に取り出し、燃料移送管で使用済み燃料プールに移送、貯蔵ラックに一時保管した後で、輸送キャニスターに収納し、INELに輸送するという方法であった。これに基づいて、1984年7月に圧力容器の上蓋が解放され、上部炉心構造物の解体・取り出しが開始された。1985年5月には、燃料・デブリ取り出し用の回転式遮蔽作業台が、上部炉心構造物を取り出した後に設置され、同年10月には、上部ルースデブリの取り出しが開始された。上部クラスト層以下については、情報が得られていなかったため、炉心上部での作業と並行して、1985年2,7,12月に、ダウンカマーからテレビカメラを挿入し、炉心下部の調査が行われた。その結果、下部炉心構造物の形状がおおむね維持されていることや、デブリとみられる堆積物が底部に非均質に堆積しており、非常に細かい物質と岩石状の物質が混在していることが明らかになった(下部プレナムルースデブリ、下部プレナムハードデブリ)。

 1986年6月に上部ルースデブリの取り出しが終了した後、同年7月に、上部クラスト層以下に対して、ボーリング調査が10か所行われた。ボーリングで採集したサンプルの分析とボーリングした断面のビデオカメラ調査により、上下クラスト層の間に溶融凝固したとみられる多孔質層があることが明らかになった。また、溶融凝固層は炉心中央で厚く、周辺にいくにつれて薄くなり、外周部では上下クラスト層が一体化して周辺クラスト層を形成していることが明らかになった。さらに、ボーリングした穴を利用して、下部プレナムにテレビカメラを挿入し、下部クラスト層の下には本来形状をほぼ維持している切り株状の燃料集合体が存在していることが確認された。これらの情報に基づき、上部クラスト層より下のデブリについては、取り出し方法を変更することとされた。すなわち、硬い層については、ボーリング装置で粉砕し長尺工具で取り出すこと、炉心周辺部に残留する燃料集合体切り株燃料集合体については、切断引き抜きで取り出すこと、とされた。1987年3月までに、クラスト層とそれに囲まれた溶融凝固層、及び、炉心周辺部に残留していた燃料集合体の取り出しは終了し、さらに、1987年の4~12月に切り株燃料集合体の取り出しが行われた。

 上部クラスト以下のデブリの取り出し過程で、溶融デブリの一部が、南東側のバッフル板を破損して、バッフル板圧力容器槽の間のコアフォーマ領域に侵入していることが明らかになった。そこで、1987年2,10月に、コアフォーマ領域にカメラとファイバースコープを挿入した調査が行われた。また、1987年3月には、下部炉心構造物のテレビカメラ調査が行われた。さらに、切り株燃料集合体の切り出しと並行して、次第に露出してくるバッフル板のテレビカメラ撮影が行われた。これらの調査により、コアフォーマ領域の全周に対して約3/4に溶融凝固物が侵入していることや、溶融凝固物コアフォーマ領域やその手前にある炉心周辺部の燃料集合体の冷却時流路を通じて下部プレナムに移行したことが明らかにされた。

 1988年1月からは、下部炉心構造物の切断と下部プレナムデブリの取り出しが開始された。そこでは、ボーリング装置やプラズマアーク装置が利用され、取り出し作業はテレビカメラ撮影された。1989年3月時点で、デブリ取り出しの進捗率は約78%に達し、1990年上半期には取り出し作業はほぼ終了した。




しかし、探針調査によって、炉心下部に硬い層があることが明らかになったため、



上部ルースデブリの堆積厚さが0,1~1.55mであること、および、回収したデブリサンプルの分析データを用いて、その重量が約26.4tであること、



参考文献

[1] 渡会偵祐、井上康、舛田藤夫、TMI-2号機の調査研究結果、日本原子力学会誌 解説 vol. 32 (No. 4) (1990) 338-350.