TMI-2での内部調査、デブリ取り出しの概要

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TMI-2でのデブリ取り出しへの取り組み(全体まとめ)

 ここでは、米国スリーマイル原子力発電所2号機(TMI-2)事故での燃料デブリ取り出しへの取り組みについての総括レポート[1,2,3,4など]の概要を紹介する。

 図1に、燃料デブリ取り出しの実施計画、内部調査、取り出し作業のおよその時系列を示す。1979年3月に発生した事故の数ヶ月後に、燃料取り出しについて基本ポリシー(PEIS: Programmatic Environmental Impact Statement)が発表された。これは、建屋内立ち入り調査で得られた知見などに基づいて修正され、1981年にNUREG-0683レポートとしてとりまとめられた[5]。また、その技術的な判断根拠については、1981年にGEND-007レポートにとりまとめられた[6]。この時点では、炉心は損傷しているものの、炉心中央部以外では、燃料集合体が本来形状を維持している可能性が高いという認識が主流であった。そこで、本来形状の燃料集合体一体を格納できるサイズで収納缶(キャニスター)が設計され、原子炉圧力容器内の冷却水中で収納缶内に集合体形状を維持した燃料あるいは破損した燃料を回収し、収納缶を上部に引き上げて輸送キャスクに装荷し、使用済み燃料プール内に建屋内移送して一時保管するという、"Pick-and-place方式"での燃料取り出しが基本概念として示された。ついで、1981-1982年頃に、提示された基本概念にもとづいて、複数の工法オプションについて検討が行われた。その結果、作業信頼性の観点が重視され、ロボットによる自動操作ではなく、長尺ツールを用いた遠隔手動による燃料取り出し工法が選定された。

 一方、原子炉圧力容器の炉心部と上部ヘッドの内部の状態を観測するため"Quick Look計画"が進められ、1982年7月から、ビデオ、ソナー、放射線計測器、などを利用した内部調査とデブリサンプリングが行われた。Quick Lookにより、炉心上部では燃料崩落し空洞が形成されていること、崩落した燃料が瓦礫状や粒子状で堆積していること(ルースデブリベッド)、炉心周辺部では燃料集合体が一部本来形状を残して残留していること、圧力容器上部ヘッドの内側には若干の付着物が見られるが、当初予想に比べて線量が低いこと、などが明らかにされた。これらのことから、圧力容器上部ヘッドの取り外しは、放射線量をモニターしつつ、空気中でクレーンで吊り上げて実施することが決定された(Dirty Lift工法)。また、圧力容器の上部構造物解体時の遮蔽、および、圧力容器内で燃料デブリを収納缶に格納するための作業スペースを設けるために、圧力容器の上部にIIF(Internals Indexing Fixture)という、高さ約2mの円環形状の遮蔽体を設置し、冷却水の水位を高めることが決定された。これらの方針に基づいて、1982-84年にかけて、圧力容器上部ヘッドと上部構造物の取り外しに向けて、通常運転時に制御棒などを駆動するリードスクリューの取り外し、吊り下げに用いるポーラークレーンの再起動試験、冷却水圧力の低下、貯蔵プールまでの輸送ルートの整備、などが進められた。並行して、Quick Lookで得られた知見を参照して燃料デブリ取り出し工法の絞り込みが進められた。また、粒子状やスラリー状の燃料デブリを格納するための収納缶と真空吸引方式による回収システムが設計された。1984年5月に、これらに基づく燃料デブリ取り出しの基本設計がNRCで承認され、同時期に約10億ドル(当時の金額で)の予算計画が承認された。

 1984年7月に上部ヘッドの取り外しが行われ、1984年下期から1985年上期にかけて、炉心上部構造物の取り外しと燃料取り出しのための回転式遮蔽作業台(SWP: Shielede Working Platform)の設置が行われた。1985年10月から、上部ルースデブリの取り出しが始まったが、炉内に投入した各種のデブリ取り出しツールは油圧式であり、用いられていた油圧媒体によって微生物が繁殖し、冷却水の透明度が失われるという初期トラブルが発生した。このトラブルは、油圧媒体を交換することと、冷却水の浄化システムを導入することで、1986年下期に解消された。

 内部調査については、1983-84年にかけて、炉心上部空洞のソナー調査、高解像度ビデオ調査、プランジャという探針を用いたルースデブリの深さ方向の調査、および、ルースデブリのサンプリングが行われた。これらにより、上部空洞の容積と境界、空洞周辺に残留している燃料集合体は2体を除いてほとんどが部分的に溶融しお互いに固着していること、ルースデブリの下約1mに探針が通過できない硬い層があること、などが明らかになった。また、ルースデブリサンプルの分析により、この領域の燃料デブリは5群に分類(未溶融or破損した燃料ペレット、酸化/破損したジルカロイ被覆管、溶融凝固した二酸化物:(U,Zr)O2、金属系構造物が溶融凝固した粒子状の金属デブリ、構造材の酸化物と燃料被覆管の反応物)され、それらが非均質に分布していること、一方で、瓦礫状や粒子状といった形状の分布は比較的均質であることが示された。また、崩落時の燃料最高温度は>2800K(局所的に>3100K)と推定された。これは、(U,Zr)O2二酸化物の溶融凝固層の検出、および、UO2ペレットに一部溶融の痕跡が見られたことから推定された。一方で、崩落堆積した後のルースデブリにはほとんど再溶融の痕跡が観測されず、その温度は高々2000Kであったことが推定された。これらの新たな知見に基づく事故進展解析により、デブリベッド内部で燃料デブリが崩壊熱で再溶融凝固した可能性、その一部が下部プレナムに移行した可能性、炉心下部に切り株状の燃料集合体が残留している可能性、等が推定された。そこで、1985年に、炉心上部構造物撤去時にできた圧力容器槽と遮蔽体の間の円環状の隙間から小型ビデオを下部プレナムに挿入し、炉心下部の支持構造より下の領域の調査を実施した。その結果、下部プレナムに燃料デブリとみられる堆積物が存在すること、炉心下部の構造物はおおむね本来形状を維持し、その上の燃料や燃料デブリを十分に支持していること、などが明らかになった。そこで、次の段階での燃料取り出し対象領域となる、炉心下部の状態を調べるために、コアボーリング計画が進められた。

 1986年6月に、上部ルースデブリがほぼすべて回収された後で、SWP上にコアボーリング装置が設置され、1986年7月にボーリング調査が計10か所で行われた。ボーリングサンプルの分析、および、ボーリング穴の側面に小型ビデオを挿入した観察により、炉心下部では、上部クラスト、溶融凝固層、下部クラスト、切り株燃料集合体という成層化構造が形成されていることが明らかになった。また、溶融凝固層は多孔質でもろいセラミック相と金属相で形成されており金属相の体積割合が約15%であること、上部クラスト層は溶融凝固層と構成成分が類似するがやや金属相の体積割合が大きいこと(約25%)、下部クラスト層は上部で溶融した金属成分(制御棒材、集合体部材(SS、インコネル)、ジルカロイ)がいったん燃料棒の隙間に堆積して冷却水流路を閉塞し、さらに燃料被覆管を溶融凝固して形成されたこと、などが推定された。また、デブリサンプルの分析に基づき、上部クラスト層と溶融凝固層の事故時の最高温度は>2800K(局所的には>3100K)と推定された。これに対し、下部クラストの事故時最高温度は約2200Kと推定された。これらのことから、クラスト層以下の燃料デブリ回収では、コアボーリング装置を改造して掘削することで、燃料デブリを破砕して収納缶に回収するという工法の変更を行った。さらに、切り株燃料集合体や炉心下部の構造物や燃料デブリの回収では、アークプラズマ装置やウォータージェット装置による切断工法を採用することになった。これらの改良工法により、1986年下期から1988年にかけて、炉心下部の燃料デブリと構造物の取り出しが進められた。

 炉心下部での切り株燃料集合体の取り出しが進行するにつれて、炉心を取り囲んでいるバッフル板の外側にあるコアフォーマ領域に燃料デブリが侵入しており、下部プレナムへのデブリ移行ルートになっていたことが明らかになってきた。そこで、1987年10月に、バッフル板の破損開口部からファイバースコープ、小型ビデオ、放射線計測器を挿入し、コアフォーマ領域の調査が行われた。その結果、広範囲に約4tの燃料デブリが侵入していることが明らかになった。そこで、炉心下部の燃料デブリと構造物を撤去した後で、同様の作業ツールを使って、コアフォーマ領域の解体と回収を行うこととなった。1990年1月には、圧力容器内での燃料デブリと構造物の回収がほぼ終了し、燃料物質の回収率は約99%と見積もられた。残りの1%は、冷却水処理系のフィルターや各種タンク類への残留、圧力容器壁に強固に付着、などと評価された。また、1987年3月に圧力容器内部の最終状態の推定図が示された。下部ヘッドについては、炉心下部の燃料デブリ取り出しの際に、内側の亀裂が観測されたため、国際協力による下部ヘッドのサンプリングが行われた。

 TMI-2での燃料と燃料デブリの取り出しでは、内部調査や燃料デブリ取り出しのために、新たに開発した機器・設備について、様々な初期トラブルが発生し、研究開発プロジェクト向けには、まったく整備されていなかった許認可・規制の下で、トラブルに対応した経緯が記載されている。重要な判断ポイントで、データ不足、不十分なデータ、ミスリーディングな知見・データでの対応をせまられた。例えば、事故炉建屋の封じ込め領域の線量は、事故直後には>10mSv/hと予想された。また、圧力容器内部の破損状態は、燃料集合体がほぼ残留しているという推定から、現在知られている最終状態よりはるかにひどい状態まで様々に予想されていた。しかし、実際の状況は、しばしばこのような予想と大きく異なっていたと報告されている。1980年の最初の建屋内立ち入り調査で、封じ込め領域の線量は1-2mSv/hであることがわかり、当初予想よりはるかに小さいレベルであることがわかった。初期に実施された除染と遮蔽作業により、それ以降の建屋作業は0.4-0.8mSv/hの環境で実施できるようになった。さらに、燃料デブリ取り出し段階では、0.1mSv/hの環境で作業できるようになった。一方で、1982年の圧力容器内部調査では、得られた情報は炉心上部に限られていたにもかかわらず、その観測結果に基づいて、圧力容器内の破損状態の推定が大きく修正された。当初計画では、燃料集合体が多く残留していると推定されたため、それを格納できるサイズの収納缶が設計されたが、実際には粒子状やスラリー状のデブリが多く存在していたことから、収納缶の外形サイズを変えずに、内部構造を設計変更した2タイプの収納缶を新たに設計した(Knockout canisterFilter canister)。このように、工程を確定するまでの過程の教訓として、先進的な手法で得られる現場観測データが最も重要であることが指摘されている。一方で、機器・手法開発と現場適用のバランスの重要性、つまり、先進機器・手法により、開発エフォート、時間、作業員の被ばくなどを消費して取得されるデータが、どの程度現場の作業計画や工程に反映できるのか、というジレンマが常に存在したこと、が指摘されている。しかし、その一方で、判断のために本質的に必要な現場観測データというものは必ず存在していた。

 また、十分にわからない現場、多くの技術的課題、予算、情報公開、原子力安全に向けた情報収集ニーズが混在するプロジェクトを計画し完遂するには、最適な正解がないことが指摘されている。プロジェクトの方向性や運営は、燃料デブリ取り出し工程がマイルストーンに到達し圧力容器内部の理解が深まるたびにしばしば変更された。最初の数か月は、プラントを安定させるために、アドホックな対応がなされた。150の企業の代表者がオンサイトに集まり、GPU社をサポートした。次の数年間は、古典的な方法が、内部調査、除染、デブリ取り出しの計画立案などに用いられた。1985年にデブリ取り出しが開始された後、新たな課題に次々に遭遇した。重要課題の一つが冷却水の透明度不足であり、その解決にほぼ1年を要した。このような工程では、工程運営の自由度が重要であり、燃料デブリ取り出しと搬出に向けたタスクオリエントな運営組織体を再編成したことも示されている。

図1 TMI-2での内部調査、デブリ取出し作業の時系列


























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内部調査、デブリ取り出し作業の経緯

 1979年3月に、米国スリーマイル原子力発電所2号機(TMI-2)で過酷事故が発生した。原子炉圧力容器内部の損傷状況の把握は、燃料(破損燃料集合体や燃料デブリ)や構造物の取り出し方法の選定や、事故シナリオの解明に向けた重要課題であった。ここでは、TMI-2事故における、原子炉圧力容器の内部調査とデブリ取り出しの経緯をまとめた。また、関連情報を時系列にまとめることで、どの段階でどのような情報が得られ、それがどのようにデブリ取り出し方法の選定や事故シナリオの解明に活用されたのかを整理した。

 図1(前述)に、内部調査とデブリ取り出しの経緯を概略的に示す。この図は、様々な文献に示されている情報に基づいて、どのような時期に、どのような情報に基づいて検討が進められたのかという観点で整理しなおしたものである。

Quick Look:圧力容器内部の最初の調査

 事故翌年(1980年)の6月に、建屋内への立ち入りに向けた建屋の換気作業が行われた。ついで7月から、建屋内の立ち入り調査と除染作業が開始された。事故から3年後(1982年)の6月には、原子炉圧力容器の内部調査が開始された。

 まず、予備調査として、通常運転時の出力平坦化のために圧力容器の上部から炉心に挿入されていたAPSR(Axiaal Power shaping rod)8本の再挿入試験が行われた。事故発生時には、APSRは全長の約75%が炉心部に挿入されていた。しかし、そのうち7本は駆動できず、1本のみ駆動できたが、実際には炉心上部で燃料が溶融崩落していたため、ほとんど有用な知見を得ることができなかった。[7]

 ついで、1982年の7月から8月にかけて、炉心上部ヘッドに取り付けられていたCRDM(Control RTod Drive Mechanism)のリードスクリューの案内管から、炉心中央の制御棒案内管CRGT(Control Rod Guide Tube)内に、約3.2cm径、ケーブル全長約12mの小型カメラ(CCTV)を挿入し、初めての炉心内部調査が行われた。図2に、事故前の圧力容器内部の模式図と、初回調査での小型カメラ侵入ルートを示す。

 初回調査で、炉心上部中央に空洞と瓦礫があることが観測された(図3)。瓦礫は、主に、酸化した燃料被覆管、破砕した燃料棒やペレット、中性子毒物ロッド、スパイダーなどの構造物の破損物からなると推定された。初回調査では、燃料溶融の痕跡は見られなかった。また、初回調査では、小型カメラの視野がせまく明度不足で、炉心中央部のみの情報しか得られなかったため、第2回調査では、炉心周辺部にカメラを挿入して調査が継続された。その結果、炉心周辺部にも空洞が広がり、堆積物があること、堆積物中には、破損して崩落した燃料棒や、ほぼ無傷の燃料ペレットが見られること、などが明らかになった(図4)。第3回目の調査では、探査プローブで堆積した瓦礫をつつく作業が行われ、堆積物表面から約30cmほど侵入できることがわかった。このことから、瓦礫状の堆積物はルースデブリを主に含むと推定された。一方で、炉心上部の構造物には顕著なひずみや損傷は検出されなかった。[8]

図2 事故前の圧力容器内部模式図と最初の内部調査のルート[1]






















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Quick Look:圧力容器上部ヘッド内部の調査

 圧力容器上部ヘッドと炉心上部構造物の取り出し工法を決定するために、1982年下期から83年下期にかけて、上部ヘッド内部の調査が行われた。1982.7月の調査(上述)では、上部構造物に若干の付着物があることが観測された。図5に、1982.7月の内部調査の概要模式図を示す[1]。CRDMの上から、全面マスクと防護服の作業員による手動で探査プローブをつり下ろした様子が確認できる。1982年12月には上部プレナム領域の線量分布測定が行われた。その結果、約0.4-6Sv/hという測定値が得られた。1983年下期には、原子炉圧力容器内を減圧した後で、"Underhead Characterization Study"が実施された。そこでは、上部プレナム内の線量分布の再測定、構造物と上部ヘッド内面の付着物のサンプリング、上部構造物のひずみや損傷状態などの目視観察、放射化したリードスクリューの上下移動試験による上部ヘッド内部での線量分布の変化の測定、などが行われた。上部格子以外の上部構造物には大きな損傷がないこと、上部格子には溶融物の付着・垂れ下がりの痕跡があり、線量は約3-7Sv/hであること、などが確認された(図6)。また、回収したサンプル分析の結果、上部格子と燃料集合体上部の接触部にあったインコネルが溶融していたことがわかり、上部格子の事故時ピーク温度が約1700Kであったと評価された。また、回収されたサンプルの一部は、事故直後に、検討課題の一つと考えられていたジルコニウム微粒子の自然発火可能性の確認試験に供試された。試験の結果、自然発火性がないことが確認された。[9]

 これらのことから、圧力容器の上部ヘッドは、水没させずに取り外し、空中を移送して、使用済み燃料プール内に一時保管すると決定された。これを"dry lift工法"という。この工法により、1982年11月から圧力容器上部ヘッドの取り外しの準備作業が開始され、1984年7月に上部ヘッドを取り外して圧力容器を開放し、1985年3月までに炉心上部構造物の撤去が終了した。

図5 圧力容器上部ヘッドの調査方法模式図[2]
図6 上部格子の溶融/付着物[1]
































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Quick Look:上部ルースデブリのサンプリング、探針調査

 堆積している瓦礫状あるいは粒子状のデブリの特性、および、堆積深さと分布を調べるため、"Reactor Core Debris Sampling計画"が立案され、1983年9-10月に、6個のデブリサンプルが回収された。さらに、1984年3月に5個のサンプルが追加で採集された。図7にルースデブリサンプリング方法を模式的に示す[10]。Quick Look計画で利用されたCRGTを使ってドリル形状のツールを挿入し、ルースデブリ堆積層に2本の穴があけられ(炉心中央部、炉心中央と周辺の中間部)、ドリルタイプとスクープタイプのデブリサンプラーにより、堆積表面近くと数10cm深くのデブリがサンプリングされた。図8にスクープタイプのサンプラーの写真を示す。デブリサンプルは約33cm3の容積を持つ遮蔽付きのキャスクに収納して回収された。デブリサンプルの線量は、0.03-0.36Sv/hで、デブリ粒子のサイズは<0.6cmだった。回収されたデブリサンプルは、アイダホ国立研究所に輸送され、組成、粒子サイズ、FP混入、などについて分析され、さらに一部は小分けされて、乾燥特性、FP浸出特性、Zr水素化物の自然発火性、などの確認試験に供された。分析により、デブリ粒子は5つの群に類型化され、それぞれの特性を整理することで、デブリ取り出し方法の設計の基礎データとして利用された。分析結果は文献[11,12]にまとめられている。

 また、プランジャと呼ばれる自重で回転しながら堆積物中に侵入する探針(1.3cm径のSSロッド)を、リードスクリューサポートから炉心部に挿入し、63か所の探針調査を実施した。その結果、上部ルースデブリの内部約1m下に、プランジャが通過できない硬い層が存在していることが明らかになった。固い層の上部位置は、馬蹄形であり、炉心中央でやや低く、炉心周辺に近い領域でやや高いことが確認された。

図7 上部ルースデブリのサンプリング模式図[2]
図8 スクープタイプのデブリサンプラー[1]




































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Quick Look:空洞領域のマッピング

 1982年7月の内部調査で用いられた小型カメラでは明度が不足し、炉心上部空洞全体の情報を十分に得ることができなかったため、空洞のサイズ、周辺に残留していた燃料集合体と空洞との境界の状態、燃料集合体の支持状態、上部格子の損傷状態や付着物の様子を確認する目的で、"Reactor Core Topography計画"が立案され、1983年8-9月に超音波ソナーによる調査が行われた。ソナーにより、約50万点の空間データを取得し、空洞のサイズ、周辺燃料集合体や上部ルースデブリと空洞の境界データ、燃料集合体の上部端栓の残留状態(特に、いくつかの燃料集合体は上部だけが残留し、上部格子からぶら下がった状態になっていること)、バッフル板に若干の歪みがあること、などが明らかにされた。さらに、1983年12月にTopography modelが作成され、空洞容積が本来炉心容積の約26%に相当すること、上部ルースデブリと周辺燃料集合体の残留境界の位置をデータ化した(図9)。さらに、1984年4月には、上部空洞内に高性能カメラを挿入し、上部ルースデブリ、周辺燃料集合体、上部格子下面の状態確認が行われ、モザイク/パノラマ写真が作成された(図10)。[2]

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圧力容器内の状態推定の変遷①:炉心上部の内部調査結果を反映

 1982年7月から実施された炉心上部のQuick Look調査前後での、圧力容器内部の推定状態の変遷を、図11に示す。内部調査以前は、解析コードを用いた解析に基づき、炉心中央は損傷しているものの、燃料集合体の形状はほぼ維持されているという推定が主流であった。この推定に基づき、燃料取り出し用の収納缶(キャニスター)は、燃料集合体一体を収納できるサイズとして設計された。しかし、Quick Look調査により、炉心上部に空洞があること、そこから崩落した燃料がルースデブリベッドとして堆積していること、ルースデブリ下に硬い層があること、炉心周辺部には破損した燃料集合体が残留していること、上部格子に溶融の痕跡があること、などが観測された。それらの結果から、上部空洞の容積、崩落・堆積した上部ルースデブリの重量、炉心周辺に残留している燃料集合体の数と支持状態、硬い層の深さ位置、などが評価され、圧力容器内の推定図が書き換えられた。しかしこの時点では、上部ルースデブリ下の固い層より下の堆積状態、および、炉心下部の状態については情報が得られていなかった。

 これらの内部調査の結果に基づいて、上部ルースデブリと周辺に残留する燃料集合体を対象に、破損した燃料集合体や瓦礫状デブリを格納できる標準タイプの収納缶(Fuel Canister)の他に、ペレットサイズからmmサイズまでの粒子状デブリを格納できる収納缶(Knockout Canister)、スラリー状デブリを回収できる収納缶(Filter Canister)が設計された。また、遠隔手動方式による燃料デブリ取り出し工法が具体化された。まず原子炉圧力容器内の上部構造物を解体し、次に圧力容器の上部に、各種の取り出しツールを吊り下げる回転式の作業台を設置する。さらに作業台から吊り下げた長尺ツールで冷却水中で収納缶内に回収したデブリを、原子炉圧力容器外に取り出して移送缶で使用済み燃料プールに建屋内移送し、貯蔵ラックに一時保管した後で、輸送キャニスターに収納しなおし、INELに輸送するという工法が採用された。[1,2,4]

図11 炉心上部内部調査に基づく圧力容器内の状態推定の変遷(文献[1,2]に基づき編集)


























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下部プレナム調査

 1983年までは、下部プレナム領域へのデブリ以降は予想されていなかった。しかし、1983年に、SSTR(Solid State Track Recorder)が挿入され、中性子計測などにより、約1.8tの燃料に相当する閉塞物が存在すると推定された。しかし、この堆積物が燃料デブリかどうかについてはまだ異論があった。1985年2月に、炉心上部構造物を撤去した後の隙間から、コアフォーマ領域の外側の遮蔽体と圧力容器槽の円環上の隙間を通じて小型カメラを吊り下げ、下部プレナムの調査が行われた。その結果、下部プレナム内に約9-18tと推定される燃料デブリとみられる砂利の山のような堆積物が観測された。1985年の7月と12月に、別なルートを通じたカメラ調査と下部プレナムデブリのサンプリングが行われた。これらの調査により、炉心支持板より下の構造物はほぼ本来構造を維持しているが、下部ヘッドの上には燃料デブリが堆積していることが確認された。さらに、1986年7月と1987年2月には、後述するボーリング穴を利用して、下部プレナムにカメラが挿入された。その結果、堆積状態は一様ではないこと、堆積物の表面状態が砂利状から平滑面まで多様であり、非常に細かいデブリ(下部プレナムルースデブリ)と岩石状のデブリ(下部プレナムハードデブリ)に大別できること、などが明らかになった。これらの観測結果は、下部プレナム構造物と燃料デブリの切断・破砕・取り出しツールの改良に反映された。構造物の切断には、プラズマアークトーチが利用されることとなった。また、1985年3月には、原子炉圧力容器の下部に取り付けられていたインコアモニターの案内管から、ガンマ線センサーが挿入され、堆積物の線量測定が行われた。52本の案内管のうち26本で挿入を試したが、うち1本だけを約50cm内部に挿入することができた。図12に下部プレナム調査の概要を示す。図13に下部プレナム堆積物の外観を示す。[2]

図12 下部プレナム調査時点での圧力容器内の状態推定図と下部プレナムの調査方法(文献[1,2]に基づき編集)
図13 下部プレナム堆積物の外観[1]



































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圧力容器内の状態推定の変遷②:上部ルースデブリの分析、探針調査、初期の下部プレナム内部調査結果を反映

 1983年から85年にかけて実施された、上部ルースデブリの分析と探針調査、下部プレナム内部調査の結果を反映した圧力容器内部の推定状態の変遷を図14に示す。Quick Look調査で採集した炉心上部のデブリサンプルの分析により、炉心上部プレナム内の構造物には溶融の痕跡がないことが確認され、上部構造物付近の事故時ピーク温度は700-1255Kと評価された。一方で、上部格子には溶融付着物が観測され、そこから回収したサンプル中でインコネルが溶融凝固していたことから、上部格子は事故時に1700K近くまで温度上昇していたと評価された。ソナーとビデオを使った画像マップデータに基づき、上部空洞は本来炉心に対し約26%の容積に相当すると評価された。上部ルースデブリの探針調査では、ルースデブリ表面から約1m下に硬い層が確認された。また、上部ルースデブリサンプルの分析から、ここに堆積している粒子状や瓦礫状のデブリは5群に類型化され、それら5群の分布は非均質であるが、形状については、粒子状や瓦礫状のデブリが比較的均質に堆積していることが示された。また、サンプル中に(U,Zr)O2の溶融凝固相が検出されたことから、燃料崩落時のピーク温度はその融点である2800Kより高かったと推定された。さらに、一部でUO2ペレットにも溶融の痕跡があり、局所的にはその融点である3100Kまで到達していたと評価された。一方で、堆積している粒子状デブリ相互では再溶融の痕跡がほとんど確認されず、いったん堆積した後の上部ルースデブリは2000K以下で保持されたと推定された。上部ルースデブリの特性は深さ方向でもあまり変化してないことが確認された。これに対し、下部ヘッド上にデブリらしき堆積物が存在していることが確認され、堆積物の容積から、その重量は9-18tと評価された。これは炉心物質の10-20%に相当した。その上にあった炉心下部の支持構造物にはほとんど損傷は見られなかった。これらの知見・データに基づき、上部ルースデブリの取り出しが進められた。上部ルースデブリの取り出しが進捗していた1986年上期時点での炉内状況推定図を、図14の左図に示している。

 これらの観測結果を事故進展解析の境界条件として用いることで、炉心下部の状態推定のアップデートが行われた。図14の右図が、更新された事故進展解析による炉心下部の状態推定を示す。炉心下部の調査はまだほとんど行われていなかったが、ルースデブリ内部で再溶融が起こり、その周囲にクラスト層が形成されたことが推定された。また、下部クラスト層の底部が一部破損して、そこを通過して溶融デブリが下部プレナムに移行したことが推定された。この図が、ボーリング調査を行う上で参照データとして利用された。#この例のように、内部調査やサンプル分析によってアップデートされた事故進展の理解は、次の段階の内部調査やデブリ取り出しの工法具体化のために活用された。

図14挿入

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コアボーリング

 炉心下部では、特徴の異なる複数の層が成層化している可能性が示唆され、堆積物の状態(形態、層構造、ピーク温度、物質の相互作用、FP濃度、その他成分の混入、など)を調査し、デブリ取り出し工法の改定に資するため、"Core Stratification Acquisition計画"が進められた。1986年6月までにほぼ上部ルースデブリの回収が終了したことで、SWP上にコアボーリング装置を設置し、1986年7月にコアボーリングが行われた、図15に、コアボーリングの方法を模式的に示す。コアボーリングは、約6cm径、約2.5m長で10本実施された。そのうち炉心中央に近い5本で硬いクラスト層を貫通した。さらにそのうち3本では溶融凝固した燃料デブリとみられる多孔質酸化物層を貫通した。図16に、これらの貫通部位と深さ方向の堆積状態を示す。炉心中央から中間領域にかけて、燃料集合体の装荷位置を利用してコアボーリングが行われ、そのうちD8,G8,K9,K9,N5で硬い層を貫通した。また、G8,K9,K6では、硬い層は上下クラスト層に成層化し、その間には多孔質のもろい層が存在していた。D8とN5では、上下クラスト層が一体化していた。下部クラスト層の下には切り株状の燃料集合体が残留していた。多孔質領域はボーリング作業中に容易に破砕され、約80%の物質が流出した。また、切り株燃料領域では、残留していた燃料被覆管に金属としての遠征が十分残されており、ボーリング作業中に変形した。ボーリングで開いた穴に小型カメラを挿入することで、多孔質層が稠密であることや、切り株燃料集合体部分ではほとんど歪みや損傷がないことが確認された。ボーリングサンプルのうち9本と、多孔質領域の破砕サンプルをアイダホ国立研究所に輸送し分析が行われた。[11,13]

 図17に、コアボールサンプルのうち、炉心中央で溶融凝固層を貫通したG8,K9サンプル、中間領域で上下クラスト層が一体化した領域を貫通したD8サンプル、炉心外周部で切り株燃料集合体領域のみを貫通したG12サンプルの断面モザイク写真を示す[11]。G8,K9サンプルでは、溶融凝固層が存在していた領域で約80%の物質が流出し、小石状や粒子状の物質が残留していた。上下クラスト層の形成位置から、その内部の溶融凝固層が、炉心中央から約3m径で広がっていること、炉心中央では堆積深さが約1.5m、炉心中間領域では約0.3-0.6mであると推定された。さらに、その容積と回収したサンプルの比重から、溶融凝固層の物量が約32.7tであると評価された。溶融凝固層と上部クラスト層は、構成成分が類似しており、酸化物相と金属相からなっていた。酸化物相は主にUとZrの二酸化物であり、金属相は燃料集合体部材の構成成分(Fe,Ni,Cr,Zr,Sn,Ag,In)やFP成分(Ru,Rh,Pd,Sb)及び還元されたUをわずかに含む各種合金や金属間化合物であった。溶融凝固層では、金属相の体積割合は約15%であり、上部クラスト層では約25%であった。周辺クラスト層は上部クラスト層とほぼ同様の物質からなっていた。UとZrの二酸化物が溶融凝固していたことから、溶融凝固層と上部クラスト、周辺クラスト層は事故時のピーク温度が2800K以上であったと推定された。UO2の溶融の痕跡も見られ、局所的に3100K以上に到達していたと評価された。これに対し、下部クラスト層では、未溶融の燃料ペレットが縦に積み重なる構造が残留しており、その周囲を金属系の物質(Fe,Ni,Cr,Zrなど)が取り囲んでいた。このことから、炉心上部で溶融した制御棒(案内管スパイダー)、グリッド、燃料被覆管などが溶落して、その時点での冷却水水位の直上あたりにいったん堆積し、炉心下部の燃料棒被覆管やペレットの一部を溶融してから凝固したと推定された。このことから、下部クラストでは事故時のピーク温度は約2200Kと推定された。切り株燃料集合体領域では、残留していた燃料被覆管は遠征を維持していた。燃料集合体の残留高さは炉心中央で約60cm、外周部で約120cmであった。切り株燃料集合体の下では炉心下部の構造物はほぼ本来構造を維持していた。[11,13]

 これらの知見に基づき、クラスト層と溶融凝固層は、コアボーリング装置の先端ツールを改良して、破砕してから収納缶に回収すること、切り株燃料集合体以下の部位については、アークプラズマトーチで切り出すという、デブリ取り出し方法の改定を行った。[2]

図15,16,17挿入

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圧力容器内の状態推定の変遷③:コアボーリング調査結果を反映

 1986年7月のコアボーリング調査により明らかになった炉心部の成層化状態と下部プレナムの堆積物分布、および採集されたサンプルの分析により、図18のように、圧力容器内部の状態推定図がアップデートされた。この時点で、ほぼ最終形態に近い推定図となっているが、まだ、下部プレナムへのデブリ移行経路と下部プレナムでのデブリ分布については不確かさが残されていた。下部プレナムへの移行経路としては、炉心中央部のコアボーリングサンプルにおいて下部クラスト層に破損の痕跡が見られなかったこと、などから、炉心周辺の燃料集合体の隙間を通じて移行した可能性が考えられた。デブリ移行経路については、切り株燃料集合体の取り出し作業をビデオ録画することで、移行箇所を特定することとされた。1987年3月に切り株燃料集合体の取り出し開始され、1988年9月には炉心部に残留していたすべての燃料デブリの取り出しが終了した。[2]

図18挿入

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コアフォーマ領域の調査

 1987年2月までの内部調査では、炉心を取り囲むバッフル板の露出された部分には若干の歪みはあるものの大きな破損は見られなかったため、その外側に円環状に設置され炉心を支持していたコアフォーマ領域へのデブリ侵入はほとんどないと推定されていた。図19に、事故前のコアフォーマ領域の見取り図を示す[2]。バッフル板と炉心支持板を撤去した図になっている。ところが、1987年3月から切り株燃料集合体の取り出しが進むと、R7燃料集合体が設置されていた付近でバッフル板に破損穴があり、その内部にデブリが侵入していることが発見された。そこで、コアフォーマ領域について、1987年2月に線量計を用いた調査が、1987年10月にファイバースコープ、小型ビデオカメラ、線量計を挿入した調査が行われた。画像調査によりコアフォーマ領域に多くの堆積物を発見したが、冷却水の濁りが多く堆積物分布を詳細に確認することはできなかった。そこで、線量マップとビデオ画像を組み合わせて堆積物の分布マップを作成した(図20)[4]。コアフォーマ領域の全周に対して約3/4に溶融凝固物が侵入していることや、溶融凝固物はコアフォーマ領域やその手前にあるR7燃料集合体の冷却剤流路を通じて下部プレナムに移行したことが明らかにされた。また、コアフォーマ領域の堆積物重量は約4tと評価された。これらの知見に基づき、コアフォーマ領域について、プラズマトーチを用いた切断とボーリング装置を用いた破砕によりデブリを小分けし収納缶に回収するデブリ取り出し方式が採用された[2]。図21に、炉心部から燃料デブリが回収された時点(1988年9月)での圧力容器底部の写真を示す[1]。炉心下部に炉心支持板が、周囲にバッフル板が残留している様子が確認できる。

図19,20,21挿入

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下部ヘッドの調査

 1989年3月から6月にかけて、下部プレナムに堆積していた燃料デブリの取り出しが進められた。燃料デブリや案内管などの構造物の切断/解体には、コアボーリング装置とアークプラズマ装置が利用され、取り出し作業はテレビカメラ撮影された。1989年7月には、燃料デブリ取り出し後の下部ヘッドのビデオ撮影が行われた。一部のインコアモニター案内管のノズル近傍にクラックが形成されていることが観察された(図22)。同年8月には、クラック近傍に高解像度カラービデオと探査プローブが挿入され、クラックは最大15cm長、0.6cm幅、0.5cm深さであり、圧力容器の損傷は表面にとどまっていたと判定された[1]。

 圧力容器の損傷モードを解明し、TMI-2事故では圧力容器破損条件に対してどこまでの状態に至っていたのか(損傷までのマージン)を調査する国際プロジェクトが実施された。1990年2月までに、下部ヘッドからのサンプル切り出しが行われた(図23)。15個の圧力容器内壁サンプルと、14個のインコアモニターノズルサンプル、2本の案内管サンプル、が回収され、熱的な損傷、化学反応、残留強度、などが調査された。[1]

図22,23挿入

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圧力容器内の状態推定の変遷④:最終形態

 図24に、様々な内部調査とデブリ取り出し作業で明らかにされた、圧力容器内部の最終形態を示す[1,2,4など]。これは、多方面で広く知られている模式図である。圧力容器内は、上部からいくつかの領域に区別されている。表1に、領域ごとの概要をまとめる。

図24挿入

領域 概要 解体/回収の方法
上部空洞 本来炉心に対して約26%の容積、約1.5m深さの空洞、炉心周辺に42個の燃料集合体が一部残留(うち、2体のみほぼ本来形状を維持) 長尺ツールにより、破砕/切断、瓦礫状、粒子状、スラリー状に分類し、収納缶に回収
上部ルースデブリ 重量約26t、堆積厚さ約0.6-1m、瓦礫状/粒子状の物質が堆積、構成成分は5群に類型化(破砕or形状を維持したペレット、酸化/破損した燃料被覆管、燃料の溶融凝固物、構造材が溶融凝固した金属粒子、酸化した構造材と燃料の反応生成物) 同上。デブリバケツを利用
溶融凝固層

上下クラスト層

重量約33t、炉心中央から約3m径、炉心中央で約3m深さ、炉心中間領域で約0.25cm深さ、炉心物質由来の溶融凝固した酸化物相と金属相の混合物が非均質に分布

金属相の体積割合は、溶融凝固層で約15%、上部クラストで約25% 下部クラスト層では、縦に積層化した燃料ペレットが残留し、その周囲を溶融凝固した(一部酸化した)金属相が充填している形態

同上。硬い層の破砕のため、コアボーリング装置を利用し、約400個の穴を開けてから回収

内部調査で得られた知見

 ここでは、1982年7月から開始され、燃料取り出しの進捗に即して、段階ごとに行われた様々な内部調査において、どのような知見が得られたのかをまとめた。

上部炉心構造物

 調査方法: テレビカメラ、中性子、ガンマ線

 観測結果: 上部格子以外はほぼ健全、上部格子の一部に溶融の痕跡と変色

 観測結果からの推定: 溶融の痕跡から、事故時のピーク温度を推定。変色の様子から構造物が事故進展中に水蒸気酸化した可能性を推定

 事故シナリオの推定: 上部ルースデブリが再冠水した際に発生した水蒸気流により、上部格子の溶融・酸化が発生

 (参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

炉心上部の空洞

 調査方法: テレビカメラ、ソナー、中性子、ガンマ線

 観測結果: 炉心上部に空洞を発見、空洞の下には、崩落・堆積したとみられるルースデブリ層を発見、炉心周辺部に燃料集合体が残留していることを確認

 デブリサンプル分析: 空洞周辺から、上部ルースデブリの表面近傍のサンプル採集、炉心周辺部の燃料集合体の一部を切り出し採集(上部格子近く、ルースデブリ堆積面あたり)

 観測結果、分析データからの推定: 空洞の容積を概算、そこから崩落した炉心物質の物量を概算。最深1.5mの深さ、空間体積9.3m3

 事故シナリオの推定: スクラム後174分での冷却水投入タイミングで高温酸化し脆化した燃料棒が崩落

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

上部ルースデブリ

 調査方法: テレビカメラ、ソナー、中性子、ガンマ線、探針(プランジャ:63か所)

 観測結果: 上部ルースデブリ層の堆積厚さを測定、その下には、探針が貫通できない硬い層があること、および硬い層は平滑面でなく凹凸があり、比較的外周側で馬蹄形リング状に盛り上がっていることを検出

 デブリサンプル分析: 上部ルースデブリの取り出し作業中に、ボーリング孔周辺から、デブリサンプルを数か所採集・分析(上部ルースデブリの表層近く、クラスト層の直上)

 観測結果、分析データからの推定: 堆積物の容積とデブリサンプルの密度分析から、上部ルースデブリの物量と堆積厚さ分布を概算。堆積厚み0.6~1m、重量26.4トン。酸化物系の燃料デブリ粒子の相状態((U,Zr)O2、UO2)から、燃料溶融・崩落時のピーク温度を推定(>2800K、局所的に>3100K)。さらに、粒子の接触状態等から、堆積後に粒子が広く再溶融した痕跡がなく、上部ルースデブリとして堆積した後のピーク温度が<2000Kと推定

 事故シナリオの推定: ピーク温度>2800K以上に到達し、溶融・崩落した炉心物質のうち、上の方は上部ルースデブリとして、堆積後にあまり再昇温・再溶融せず、粒子状を維持。冷却水注入により再冠水され冷却。再冠水時に、残留していた金属成分が酸化し、水素・水蒸気発生。上部ルースデブリ層は粒子状を維持し、その中への冷却水侵入にはある程度時間を要し(スクラム後200分以降)、その重量増加により上部クラストを圧迫し、溶融凝固デブリの噴出につながったと推定

  (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

炉心周辺部に残留していた燃料集合体

 調査方法: テレビカメラ、ソナー、中性子、ガンマ線(上部端栓付近の調査を重点的に実施)

 観測結果: 177体中42体の燃料集合体が炉心周辺部に残留、うち2体のみ全長に対して>90%無傷の燃料棒を保持

 デブリサンプル分析: 上部端栓、上部格子周辺から切り出してサンプル回収

 観測結果、分析データからの直接の推定: 燃料棒と制御棒、可燃性毒物棒の上部の溶融状態、付着状態から、径方向/軸方向に大きな温度勾配、および冷却過程に違いがあった痕跡

 事故シナリオの推定: 事故時に炉心周辺の燃料集合体でも下の方で燃料溶融が発生していたと推定

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

クラスト層と溶融凝固層

 調査方法: ボーリング調査(10か所)、ボーリング孔にテレビカメラ挿入(図4

 観測結果: 溶融凝固層は多孔質で、約3m径、中央で約1.5m厚、周辺で0.25m厚、その外側では上下クラスト層が一体化して周辺クラスト層を形成し、溶融凝固層は存在していない

 デブリサンプル分析: 溶融凝固層、上下クラスト層、周辺クラスト層、からサンプル回収

 観測結果、分析データからの推定: 溶融凝固層の重量は約32.7t。採集したサンプルの相状態から、上下クラスト層、周辺クラスト層、溶融凝固層の最高到達温度を推定、組成の違いを評価。上部クラスト層、周辺クラスト層、溶融凝固層については、最高到達温度>2800K、局所的に>3100K。下部クラストでは、未溶融の燃料ペレットの隙間に燃料被覆管などが溶融した相状態が観測され、ピーク温度<2200Kと推定。上部クラスト層、周辺クラスト層は、溶融凝固層に比べ、やや金属成分が多いことを測定

 事故シナリオの推定: スクラム後174分に炉心上部で燃料崩落し、その時点での冷却水水位の上あたりにいったん堆積し、ルースデブリを形成。堆積物中央には十分に冷却ガスや冷却水が供給されず、崩壊熱で再昇温・再溶融し、溶融プールを形成(スクラム後174-224分頃)。溶融プールは凝固時に多孔質化。上部クラストは、溶融凝固層の形成時にルースデブリとの界面あたりに形成。下部クラストは、初期に崩落した燃料が健全な燃料棒の隙間に堆積し、Zry被覆管を溶融したり、燃料ペレットのクラックに侵入したりして形成

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

切り株燃料集合体

 調査方法: ボーリング調査(10か所)、取り出し時にテレビカメラ撮影

 観測結果: 下部クラスト層と切り株燃料集合体のつながり状態を確認。画像解析により、一部に、上部からの高温溶融物移行による熱的損傷の痕跡、溶融Zr金属の燃料被覆管表面を伝わっての下部プレナム移行の痕跡、を観測

 デブリサンプル分析: 切り株燃料集合体からサンプル採集

 観測結果、分析データからの推定: 切り株燃料集合体と下部クラスト層、および、炉心周辺部に残留していた燃料集合体で、炉心中央の上部ルースデブリとクラスト層、溶融凝固層を支える構造であることを確認。健全燃料棒の燃料被覆管の断面組織から、最高温度<920Kと推定

 事故シナリオの推定: 切り株燃料集合体の領域は、燃料デブリ崩落時に水位があり、ピーク温度<1100Kと推定、一部に高温化、酸化による変色

  (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

バッフル板、コアフォーマ領域

 (ここから、記述追加)

 調査方法:

 観測結果:

 デブリサンプル分析:

 観測結果、分析データからの推定:

 事故シナリオの推定:

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動

下部プレナムデブリ

 (ここから記述追加)

 調査方法: テレビカメラ、中性子、ガンマ線

 観測結果: 岩石状(およそ0.2mサイズ)、粒子状(<0.1mm)が混在、

 デブリサンプル分析: 下部プレナムデブリのサンプル採集

 観測結果、分析データからの推定: 溶融凝固した(U,Zr)O2が均質に存在、多孔質相。結晶粒界にZr,Fe,Alなどの酸化物が濃化。空隙の周辺に、マトリックスと異なる組成の領域を観測。

 事故シナリオの推定: スクラム後、、、

 (参考:燃料デブリの分析(特徴、経験温度)参考:TMI-2での事故進展に伴うデブリ移行挙動、参考:RPV下部ヘッドで採取された燃料デブリ試料の分析結果(微細構造)とデブリ移行メカニズムの推定



参考文献

[1] Three Mile Island Accident of 1979 Knowledge Management Digest, NUREG/KM-0001, Supplement 1 and 2, USNRC, 2020.

[2] The Cleanup of Three Mile Island Unit 2 A Technical History 1979 to 1990, EPRI NP-6931.

[3] F.R. Standerfer, Three Mile Island Unit 2: Plant Recovery, Nucl. Technol. 87 (1989) 54-56.

[4] 渡会偵祐、井上康、舛田藤夫、TMI-2号機の調査研究結果、日本原子力学会誌 解説 vol. 32 (No. 4) (1990) 338-350.

[5] PEIS-Decontamination and Disposal of Radioactive Wastes Resulting from TMI-2, NUREG-0683, Vol. 1, 1981.

[6] G.W. Croucher, THREE MILE ISLAND UNIT-2 CORE STATUS SUMMARY: A BASIS FOR TOOL DEVELOPMENT FOR REACTOR DISASSEMBLY AND DEFUELING, GEND-007, 1981.

[7] Assessment of the TMI-2 Axial Power Shaping Rod Dynamic Test Results, GEND-INF-038, 1983.

[8] Quick Look Inspection Report on the Insertion of a Camera into the TMI-2 Reactor Vessel, GEND-030, 1983.

[9] NRC Annual Report, NUREG-1090, 1983.

[10] A.W. Marley, D.W. Akers and C.V. Mclsaac, Sampling and Examination Methods Used for Three Mile Island Unit 2, Nucl. Technol. 87 (1989) 845-856.

[11] R.K. McCardell, M.L. Russell, D.W. Akers and C.S. Olsen, Summary of TMI-2 Core Sample Examinations, Nucl. Eng. and Design, 118 (1990) 441-449.

[12] TMI-2 CORE DEBRIS GRAB SAMPLE EXAMINATION AND RESULTS, GEND-INF-075-PT-1, 1986.

[13] TMI-2 CORE BORE EXAMINATIONS, Vol.1, GEND-INF-092-V-1, 1990