「下部プレナム調査」の版間の差分

提供:debrisWiki
ナビゲーションに移動 検索に移動
(ページの作成:「 1982年7-8月に実施された上部プレナムと炉心上部のビデオ調査(<span style="color:blue">'''Quick Look</span>''')[1]、それに引き続いて実施された圧力容器ヘッド内と上部プレナム構造物のQuick Scan等の<span style="color:blue">'''Underhead Characterization</span>'''[2,3,4]、1983年8月の炉心上部空洞の<span style="color:blue">'''Topography調査</span>'''[5]、1984年6-7月の<span style="color:blue">'''…」)
 
編集の要約なし
1行目: 1行目:
 1982年7-8月に実施された上部プレナムと炉心上部のビデオ調査(<span style="color:blue">'''Quick Look</span>''')[1]、それに引き続いて実施された圧力容器ヘッド内と上部プレナム構造物のQuick Scan等の<span style="color:blue">'''Underhead Characterization</span>'''[2,3,4]、1983年8月の炉心上部空洞の<span style="color:blue">'''Topography調査</span>'''[5]、1984年6-7月の<span style="color:blue">'''圧力容器ヘッド撤去</span>'''[6]、1984年12月の上部プレナム構造物のジャッキアップと1985年5月の<span style="color:blue">'''上部プレナム構造物の撤去</span>'''[7]、圧力容器ダウンカマーを通じて挿入された小型カメラによる<span style="color:blue">'''下部プレナム周辺部のビデオ調査</span>'''[8]、等の内部調査やデブリ取り出しに向けた準備作業で得られた知見、初期のデブリ取り出し作業(1985年10月~1986年6月)中に得られた炉心上部や炉心周辺の燃料やデブリの残留・堆積状態に関する知見[9,10]、および、制御棒駆動機構の<span style="color:blue">'''リードスクリューサンプル</span>'''[11]、炉心上部に堆積していた<span style="color:blue">'''ルースデブリサンプル</span>'''[12]、炉心下部プレナム周辺から回収された<span style="color:blue">'''下部プレナムルースデブリサンプル</span>'''[13]、等の分析結果、さらに、これらの知や事故時に計測系で得られたデータ等に基づく事故進展解析[14]、により、1986年6月の段階でのTMI-2事故炉の炉内状況は、'''図1'''に示す炉内状況推定図にまとめられた[14]。
 1984年5月に、燃料取り出しの基本的な工法が決定[1]され(<u>'''#燃料移送Canalを全水没させず、圧力容器上に設置する遮蔽付き作業プラットフォーム(SWP)からの長尺ツールを用いたマニュアル作業による、Pick-and-placeと真空吸引'''</u>)、それを受けて、1984年7月に<span style="color:blue">'''圧力容器上部ヘッドの撤去'''</span>[2]、1984年12月に<span style="color:blue">'''プレナム構造物の初期リフト'''</span>[3]、1985年5月の<span style="color:blue">'''プレナム構造物撤去'''</span><span style="color:blue">'''改良型IIF設置'''</span>[4]、が行われた。これらの作業により、圧力容器側面の遮蔽体と容器槽の間の約20cm幅の円環状の隙間(<span style="color:blue">'''ダウンカマー'''</span>)を通じて、下部プレナム領域の周辺部までアクセス可能となった。そこで、この段階で未解明であった下部プレナムの状態(デブリ移行・堆積、構造物の損傷)を確認するために、CCTVカメラとサンプリングツールを用いた調査が5回にわたって実施された[5]。'''図1'''に、ヘッドとプレナム構造物の撤去、および、円環状部分の概要を示す[6]
 
 1985年2月に実施された最初の下部プレナム調査で、下部プレナム底部に、炉心物質に由来するデブリと考えられる堆積物が約10~20トン堆積していることが確認された。一方で、炉心下部構造物(<span style="color:blue">'''カマー'''</span>LCSA: Lower Core Support Assembly)にはほとんど損傷は見られなかった。さらに、1985年7月と12月に下部プレナム外周部からの調査が行われ、<span style="color:blue">'''下部プレナムデブリ'''</span>が広く堆積していること、粒子状のルースデブリと岩石状のハードデブリが存在していること、インコアモニター案内管は下部がデブリに埋もれているが、ほとんど損傷が見られないこと、等が確認され、また、粒子状デブリのサンプリングが行われた。1986年7月の<span style="color:blue">'''コアボーリング調査'''</span>では、3か所で下部プレナムまでボーリング孔が到達し、そこを通じて、下部プレナムの比較的中央の状態が観察された。また、ビデオ映像から堆積物の高さ分布が評価された。1986年の後半には、コアボーリング装置を使った炉心部の<span style="color:blue">'''溶融凝固層の破砕作業'''</span>が行われ、1987年2月に、作業後の下部プレナムの状態がビデオ調査された。破砕作業で崩落したデブリが、本来堆積していたデブリやLCSAの上に堆積している様子が確認された。[5]
 
 これらの下部プレナム調査により、下部プレナムデブリの形状は微粒子から大きな瓦礫状のものまで存在しており、周辺部の東西南方向のダウンカマーからの侵入の痕跡があること、一方で、北側には、ダウンカマーからの侵入の痕跡は見られず、溶岩状の物質が壁状にとどまった状況が存在すること、等が明らかになった。また、堆積物の高さ分布と採集したデブリサンプルの分析結果(比重約7g/cc、空孔率約0.45)を考慮して、下部プレナムデブリの総重量をは15±5トンと推定された。この項目では、下部プレナム調査の概要をまとめる。
 
'''<big>参考:初期の燃料取り出し工法</big>'''
 
'''<big>参考:プレナムリフト</big>'''
 
'''<big>参考:ボーリング調査</big>'''
 
'''<big>参考:下部プレナムデブリの分析結果</big>'''
 
== 調査の概要 ==
 
=== 第1回調査(19852月) ===
 '''図2'''に、下部プレナムの調査位置を示す[5]。第1回調査は、プレナム初期リフト後のタイミングで行われた[3,4]。外周部の4と11位置から、ダウンカマー経由でCCTVカメラが挿入された。約10~20トンのデブリが堆積していること、LCSAに損傷が見られないことが確認された。
 
=== 第2回調査(1985年7月) ===
 第2回調査は、プレナム構造物が撤去された後のタイミングで行われた[4]。'''図2'''の7/8、1、11位置から、CCTVカメラが挿入され、また、WとX位置近くの粒子状デブリが開口部7と11経由でサンプリングされた。サンプリング後に、ウォータージェットが挿入され、デブリが水流で動くかどうか確認された。デブリはルースであり、その回収には真空吸引方式が使えると判断された。
 
=== 第3回調査(1985年12月) ===
 第3回調査は、デブリ取り出し直後のタイミングで行われた[7]。'''図2'''の7、11、14位置から、CCTVカメラが挿入された。マニピュレータを用い、従来より広い範囲が観測された(半球状の流量配分プレートの上)。'''図3'''にLCSAの断面構造を示す[5]。LCSAは大きく5層構造からなっており、一番下に半球状のプレートが存在している。
 
=== 第4回調査(1986年7月) ===
 第4回調査は、コアボーリング調査の一環として実施された[8]。'''図2'''のD4、K9、N12位置で、下部プレナムに到達するまでボーリングが行われ、開口部からCCTVカメラが挿入された。この作業により、破砕されたデブリの一部がLCSA上や下部プレナムデブリ上に崩落した。下部プレナム中央付近での堆積高さが評価された。
 
=== デブリ破砕作業(1986年8月~12月) ===
 コアボーリング調査後に、先端ピットを交換して、デブリ破砕作業が行われた[9]。合計で400本以上の掘削が行われ、約4.2トンのデブリが下部プレナムに崩落した。
 
=== 第5回調査(1987年2月) ===
 第5回調査は、デブリ破砕作業後に行われた。ボーリング破砕作業により、デブリの堆積状態は大きく変化したが、それ以外の知見は得られなかった。インコアモニター案内管1本が損傷していることが確認された。
 
== 下部プレナムデブリの重量、体積の評価 ==
 下部プレナムデブリベッドの堆積高さの等高線マップと下部プレナムの本来構造、および、デブリサンプルの比重と空孔率から、下部プレナムデブリの総重量と体積が評価された。
 
 まず、画像解析により(LCSAからの距離、インコアモニターの埋没具合、ヘッド内部形状の設計データ)、堆積高さマップが描図された('''図4''')[5]。デブリはW,X,Z位置では、ダウンカマーの壁まで広がっているが、Yでは、一番端のインコアモニター案内管位置でとまっている。'''図5'''に、堆積位置の違いによるデブリの状態を示す[5]。W位置では案内管下部が埋まり、Y位置では案内管下部が露出していることがわかる。Y位置では案内管が障害物となって、溶岩先端の壁のようになっている。デブリの高さは、南から北(図中下から上に)になだらかに減少し、一方で、東西では、ダウンカマーに近い側(ヘッド周辺部)に向けてなだらかに高くなっている。
 
 次に、デブリベッドの断面を南北にを17本分割して作図し、堆積物分布が示された('''図6''')[5]。このマップを利用してデブリ体積が4.85m<sup><small>3</small></sup>と評価された。'''図7'''に、デブリ体積評価に用いられた下部プレナムでの案内管の形状の例を示す[5]。
 
 デブリの比重は、下部プレナムデブリベッドから採集したサンプルの分析値から7.00±0.57g/ccと評価された(#サンプル代表性の課題ため不確かさが大きいと記述)[10]。粒子デブリの充填率は、模擬デブリ試験結果から、およそ0.3~0.5と推定された[11]。一方で、一般的な砂利の充填率は0.45と言われている。これらのことから、不確かさは大きいが、暫定的に0.45±0.1と評価された。これらの値から、デブリ総重量は15±5トンと評価された。第1回調査にあわせて行われた、中性子ソースレンジモニターの測定値からの概略推定値は19.3トンであり、これとおよそ整合していた。
 
 流量分配器ヘッドの穴(フローホール)にはデブリが詰まっていた(特に、第1回8調査の4番、第3回調査の14番と7番)('''図8''')[5]。しかし、観察範囲が限定的で、調査の過程でデブリが落ちているため、事故時の状況かどうかは不明とされた。
 
== 下部プレナムデブリの堆積状態 ==
 場所によって堆積デブリの外観が異なっていた。Y軸近辺のデブリは大きくて溶岩状であり、先端に溶岩の崖状構造が見られた('''図5''')[5]。何か所かで、下部ヘッド内表面が直接目視でき、その上に堆積していたデブリはダスト状であった。ひび割れが形成されたことににより、ダストが発生したと推定された。X軸近くのデブリは、約2~5cmサイズの粒子状で、微粒子も多かった。Z軸あたりでは、より大きい瓦礫が見られた。最大で15~20cmサイズであり、多孔質でクラックが見られた。W軸あたりでは、微粒子やルースデブリがベッド状に堆積していた。水流により、デブリベッドは容易に移動することが確認された。'''図9'''に、デブリサンプリングの様子を示す[5]。ボーリング孔の下あたりには、比較的均質なルースデブリが存在していた。約1~2.5cmサイズであり、ボーリング作業で落ちてきたデブリが混在していた。その一部として、被覆管の破砕片が観測された。下部プレナム中央のデブリも水流で動きやすく、真空吸引可能と判定された。
 
 第5回調査では、インコアモニター案内管45番が損傷している様子が見られた('''図10'''[5]。
 
== 参考文献 ==
[1] GEND-INF-073, TMI-2 Defueling Tools Engineering Report, 1986.
 
[2] P.R. Bengel et al., TMI-2 Reactor Vessel Head Removal, GEND-044, 1985.
 
[3] M.W. Ales et al., Equipment for Removal of the TMI-2 Plenum Assembly, GEND-INF-051, 1984.
 
[4] D.C. Wilson, TMI-2 Reactor Vessel Plenum Final Lift, GEND-054, 1986.
 
[5] J.P. Adams, R.P. Smith, TMI-2 Lower Plenum Video Data Summary, EGG-TMI-7429, 1987.
 
[6] D.W. Akers et al., TMI-2 Lower Vessel Debris Examinations, NUREG/CP-0082, Proceedings of the Water Reactor Safety Research Meeting, Washington, Oct. 27-31, 1986.
 
[7] G.R. Brown, USDOE Three Mile Island Research and Development Program 1985 Annual Report, GEND-055, 1986.
 
[8] E.L. Tolman et al., TMI-2 Core Bore Acquisition Summary Report, EGG-TMI-7385, rev. 1, 1987.
 
[9] USDOE Three Mile Island Research and Development Program 1986 Annual Report, GEND-060, 1987.
 
[10] C.S. Olsen et al., Examination of Debris from the Lower Reactor Head of the TMI-2 Reactor, GEND-INF-084, 1988.
 
[11] J.A. Moore, A Fuel Rod Debris Packing Model, Nucl. Technol. 67 (1984) 66-72.

2025年6月26日 (木) 11:05時点における版

 1984年5月に、燃料取り出しの基本的な工法が決定[1]され(#燃料移送Canalを全水没させず、圧力容器上に設置する遮蔽付き作業プラットフォーム(SWP)からの長尺ツールを用いたマニュアル作業による、Pick-and-placeと真空吸引)、それを受けて、1984年7月に圧力容器上部ヘッドの撤去[2]、1984年12月にプレナム構造物の初期リフト[3]、1985年5月のプレナム構造物撤去改良型IIF設置[4]、が行われた。これらの作業により、圧力容器側面の遮蔽体と容器槽の間の約20cm幅の円環状の隙間(ダウンカマー)を通じて、下部プレナム領域の周辺部までアクセス可能となった。そこで、この段階で未解明であった下部プレナムの状態(デブリ移行・堆積、構造物の損傷)を確認するために、CCTVカメラとサンプリングツールを用いた調査が5回にわたって実施された[5]。図1に、ヘッドとプレナム構造物の撤去、および、円環状部分の概要を示す[6]。

 1985年2月に実施された最初の下部プレナム調査で、下部プレナム底部に、炉心物質に由来するデブリと考えられる堆積物が約10~20トン堆積していることが確認された。一方で、炉心下部構造物(カマーLCSA: Lower Core Support Assembly)にはほとんど損傷は見られなかった。さらに、1985年7月と12月に下部プレナム外周部からの調査が行われ、下部プレナムデブリが広く堆積していること、粒子状のルースデブリと岩石状のハードデブリが存在していること、インコアモニター案内管は下部がデブリに埋もれているが、ほとんど損傷が見られないこと、等が確認され、また、粒子状デブリのサンプリングが行われた。1986年7月のコアボーリング調査では、3か所で下部プレナムまでボーリング孔が到達し、そこを通じて、下部プレナムの比較的中央の状態が観察された。また、ビデオ映像から堆積物の高さ分布が評価された。1986年の後半には、コアボーリング装置を使った炉心部の溶融凝固層の破砕作業が行われ、1987年2月に、作業後の下部プレナムの状態がビデオ調査された。破砕作業で崩落したデブリが、本来堆積していたデブリやLCSAの上に堆積している様子が確認された。[5]

 これらの下部プレナム調査により、下部プレナムデブリの形状は微粒子から大きな瓦礫状のものまで存在しており、周辺部の東西南方向のダウンカマーからの侵入の痕跡があること、一方で、北側には、ダウンカマーからの侵入の痕跡は見られず、溶岩状の物質が壁状にとどまった状況が存在すること、等が明らかになった。また、堆積物の高さ分布と採集したデブリサンプルの分析結果(比重約7g/cc、空孔率約0.45)を考慮して、下部プレナムデブリの総重量をは15±5トンと推定された。この項目では、下部プレナム調査の概要をまとめる。

参考:初期の燃料取り出し工法

参考:プレナムリフト

参考:ボーリング調査

参考:下部プレナムデブリの分析結果

調査の概要

第1回調査(19852月)

 図2に、下部プレナムの調査位置を示す[5]。第1回調査は、プレナム初期リフト後のタイミングで行われた[3,4]。外周部の4と11位置から、ダウンカマー経由でCCTVカメラが挿入された。約10~20トンのデブリが堆積していること、LCSAに損傷が見られないことが確認された。

第2回調査(1985年7月)

 第2回調査は、プレナム構造物が撤去された後のタイミングで行われた[4]。図2の7/8、1、11位置から、CCTVカメラが挿入され、また、WとX位置近くの粒子状デブリが開口部7と11経由でサンプリングされた。サンプリング後に、ウォータージェットが挿入され、デブリが水流で動くかどうか確認された。デブリはルースであり、その回収には真空吸引方式が使えると判断された。

第3回調査(1985年12月)

 第3回調査は、デブリ取り出し直後のタイミングで行われた[7]。図2の7、11、14位置から、CCTVカメラが挿入された。マニピュレータを用い、従来より広い範囲が観測された(半球状の流量配分プレートの上)。図3にLCSAの断面構造を示す[5]。LCSAは大きく5層構造からなっており、一番下に半球状のプレートが存在している。

第4回調査(1986年7月)

 第4回調査は、コアボーリング調査の一環として実施された[8]。図2のD4、K9、N12位置で、下部プレナムに到達するまでボーリングが行われ、開口部からCCTVカメラが挿入された。この作業により、破砕されたデブリの一部がLCSA上や下部プレナムデブリ上に崩落した。下部プレナム中央付近での堆積高さが評価された。

デブリ破砕作業(1986年8月~12月)

 コアボーリング調査後に、先端ピットを交換して、デブリ破砕作業が行われた[9]。合計で400本以上の掘削が行われ、約4.2トンのデブリが下部プレナムに崩落した。

第5回調査(1987年2月)

 第5回調査は、デブリ破砕作業後に行われた。ボーリング破砕作業により、デブリの堆積状態は大きく変化したが、それ以外の知見は得られなかった。インコアモニター案内管1本が損傷していることが確認された。

下部プレナムデブリの重量、体積の評価

 下部プレナムデブリベッドの堆積高さの等高線マップと下部プレナムの本来構造、および、デブリサンプルの比重と空孔率から、下部プレナムデブリの総重量と体積が評価された。

 まず、画像解析により(LCSAからの距離、インコアモニターの埋没具合、ヘッド内部形状の設計データ)、堆積高さマップが描図された(図4)[5]。デブリはW,X,Z位置では、ダウンカマーの壁まで広がっているが、Yでは、一番端のインコアモニター案内管位置でとまっている。図5に、堆積位置の違いによるデブリの状態を示す[5]。W位置では案内管下部が埋まり、Y位置では案内管下部が露出していることがわかる。Y位置では案内管が障害物となって、溶岩先端の壁のようになっている。デブリの高さは、南から北(図中下から上に)になだらかに減少し、一方で、東西では、ダウンカマーに近い側(ヘッド周辺部)に向けてなだらかに高くなっている。

 次に、デブリベッドの断面を南北にを17本分割して作図し、堆積物分布が示された(図6)[5]。このマップを利用してデブリ体積が4.85m3と評価された。図7に、デブリ体積評価に用いられた下部プレナムでの案内管の形状の例を示す[5]。

 デブリの比重は、下部プレナムデブリベッドから採集したサンプルの分析値から7.00±0.57g/ccと評価された(#サンプル代表性の課題ため不確かさが大きいと記述)[10]。粒子デブリの充填率は、模擬デブリ試験結果から、およそ0.3~0.5と推定された[11]。一方で、一般的な砂利の充填率は0.45と言われている。これらのことから、不確かさは大きいが、暫定的に0.45±0.1と評価された。これらの値から、デブリ総重量は15±5トンと評価された。第1回調査にあわせて行われた、中性子ソースレンジモニターの測定値からの概略推定値は19.3トンであり、これとおよそ整合していた。

 流量分配器ヘッドの穴(フローホール)にはデブリが詰まっていた(特に、第1回8調査の4番、第3回調査の14番と7番)(図8)[5]。しかし、観察範囲が限定的で、調査の過程でデブリが落ちているため、事故時の状況かどうかは不明とされた。

下部プレナムデブリの堆積状態

 場所によって堆積デブリの外観が異なっていた。Y軸近辺のデブリは大きくて溶岩状であり、先端に溶岩の崖状構造が見られた(図5)[5]。何か所かで、下部ヘッド内表面が直接目視でき、その上に堆積していたデブリはダスト状であった。ひび割れが形成されたことににより、ダストが発生したと推定された。X軸近くのデブリは、約2~5cmサイズの粒子状で、微粒子も多かった。Z軸あたりでは、より大きい瓦礫が見られた。最大で15~20cmサイズであり、多孔質でクラックが見られた。W軸あたりでは、微粒子やルースデブリがベッド状に堆積していた。水流により、デブリベッドは容易に移動することが確認された。図9に、デブリサンプリングの様子を示す[5]。ボーリング孔の下あたりには、比較的均質なルースデブリが存在していた。約1~2.5cmサイズであり、ボーリング作業で落ちてきたデブリが混在していた。その一部として、被覆管の破砕片が観測された。下部プレナム中央のデブリも水流で動きやすく、真空吸引可能と判定された。

 第5回調査では、インコアモニター案内管45番が損傷している様子が見られた(図10)[5]。

参考文献

[1] GEND-INF-073, TMI-2 Defueling Tools Engineering Report, 1986.

[2] P.R. Bengel et al., TMI-2 Reactor Vessel Head Removal, GEND-044, 1985.

[3] M.W. Ales et al., Equipment for Removal of the TMI-2 Plenum Assembly, GEND-INF-051, 1984.

[4] D.C. Wilson, TMI-2 Reactor Vessel Plenum Final Lift, GEND-054, 1986.

[5] J.P. Adams, R.P. Smith, TMI-2 Lower Plenum Video Data Summary, EGG-TMI-7429, 1987.

[6] D.W. Akers et al., TMI-2 Lower Vessel Debris Examinations, NUREG/CP-0082, Proceedings of the Water Reactor Safety Research Meeting, Washington, Oct. 27-31, 1986.

[7] G.R. Brown, USDOE Three Mile Island Research and Development Program 1985 Annual Report, GEND-055, 1986.

[8] E.L. Tolman et al., TMI-2 Core Bore Acquisition Summary Report, EGG-TMI-7385, rev. 1, 1987.

[9] USDOE Three Mile Island Research and Development Program 1986 Annual Report, GEND-060, 1987.

[10] C.S. Olsen et al., Examination of Debris from the Lower Reactor Head of the TMI-2 Reactor, GEND-INF-084, 1988.

[11] J.A. Moore, A Fuel Rod Debris Packing Model, Nucl. Technol. 67 (1984) 66-72.